日本史①

会員864円 | 非会員1,036円
ダウンロード カートに入れる
ページ数3
閲覧数395
ダウンロード数0
履歴確認

    ファイル内検索

    資料紹介

    大学に提出するレポートとして作成したもので、よい評価を頂きました。邪馬台国論争について考察したものです。
    弥生時代のテスト勉強の参考にもなれば嬉しいです。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    今なおその所在がはっきりとしないまぼろしの国、邪馬台国。そして、これまたはっきりとした素性の分からない女王卑弥呼。日本国家の始まり、あるいは大和朝廷の起源という点で自分自身とても興味があり、改めて色々な学説を比べて見て、自分なりの見解を出してみたいと思った。
     今回邪馬台国について考察する論点は大きく二つである。一つ目は、邪馬台国はどこにあったのかということ。二つ目は卑弥呼の死後「壹興」という女性が後を継ぐことになるが、その後、邪馬台国はどうなったか。さらに言えば四世紀から、奈良盆地に誕生する大和政権と邪馬台国は関係があるのかということである。
    邪馬台国の存在を記した魏誌倭人伝の内容は魏の使いが二三〇年頃、邪馬台国を訪問したときの紀行文と、その後の邪馬台国から魏国への報告の二つを情報源に書かれている。特に邪馬台国の所在を探るのに重要なのが、魏の使者の紀行文である。これには、魏国から朝鮮半島、対馬、壱岐を経て、九州の伊都国に至る方向と距離が記述されている。しかし、魏の使者は、伊都国までは足を運びながら、肝心の邪馬台国には、実際に足を運んでいない。そこから先は、伝聞形式で、周辺の国々の方向..

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。