教育史1

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    第1設題
     昌平坂学問所について述べよ。
    徳川幕藩体制の確立は、封建制度社会の完成であった。徳川幕府は、地方分権を建前としながらも強力な統制と制約を加えることによって権力の集中化をはかった。また、複雑な身分制度と、世襲制度によって、武家中心の社会秩序を築きあげた。この封建的社会体制の秩序を維持強化するために、幕府直轄の学問所や各藩に藩校などの学校を設け、教育上の諸政策をとり、儒教ことに朱子学を幕府が認めた学問として、教育内容の中心においた。その幕府直轄の学問所が昌平坂学問所である。本論では、その成立と展開について考察してみる。
    【昌平坂学問所の成立】
    昌平坂学問所は、幕府儒官である林羅山の家塾に、寛永七年(1630)、三代将軍家光の内意と援助により設けられたものである。もともと幕府の儒官林家の家塾に幕府が財政的援助をおこない官学の機関としたのである。昌平坂学問は昌平黌ともいわれた。
    元禄四年(1691)、五代将軍綱吉は儒学の振興を図るために、湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡にあった林家の家塾と聖廟をここに移し、規模を拡大させていった。羅山は大成殿の外門である仰高門東舎に一般の武士・庶民..

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