明星大学 PD3040 書道1 課題2

閲覧数2,917
ダウンロード数37
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    合格済レポート例 課題2「かなの成立と書体の変化について説明しなさい。」要点をしぼって分かりやすくまとめております。
    参考文献:三宅相舟編著『入門書道 基礎から応用まで』(雄山閣)1999

    タグ

    日本中国女性文化政治文学運動現代

    代表キーワード

    明星大学書道PD3040

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本語の一音の標記は、早く中国人自身に試みられた。晋の陳寿撰『魏志倭人伝』に、「卑弥呼」「耶馬台」「卑奴母離」と記されており、日本のかなや書の歴史は、中国からの漢字伝来後の6世紀以降と考えられる。日本人によるかなの最古の遺物は、和歌山県の隅田神社所蔵の人物画像鏡で、背面に「意柴沙加宮」と鋳刻されている。71 1年に再建された法隆寺五重塔の初層天井の組木から「奈尓波都尓佐久夜己」という落書きが見つかった。これは『古今集』仮名序に見られる王仁のはじまりの部分で、楷書体であった。

     55 2年の仏教伝来後、遣隋使・遣唐使による文物交流の中で、貴族階級や知識層の学問は漢詩文、公文書の記載は漢字漢文(和文でも男手<楷書・行書体>)であった。奈良時代から平安初期には写経が盛行し、数々の名筆が生み出された。

     男手とよばれる楷書体や行書体のかなは速

    書されていくうちに草書体の「草がな」へと

    発展する。76 2年に書かれた『万葉がな文書』には、草がなが見え始める。唐様文化の盛りにあった平安初期の86 7年には、大部分が草がなで書かれた『有年申文』が現われる。また、75 9年頃には『万葉集』が成...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。