奈良教育大 指導と評価 レポート課題 A判定

閲覧数2,043
ダウンロード数8
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    資料の原本内容

    指導と評価 レポート課題

    ①授業の内容をA4二枚以上三枚以内にまとめる
    1)教育評価の定義

    教育評価とは、子どもに対して教師が行う評価のことであり、教育評価の目的は、子どもの学力を改善することにある。

    評価活動は一般的には、教師が自分の指導の効果や生徒の学習の成果を評価し、指導に生かすことを通して授業内容を完全に理解させることを目指している。ブルームの完全習得学習理論(マスタリーラーニング)が有名である。完全習得学習理論では、「指導と評価」を一体的に考え、評価は指導のための手がかりを得る手段とされる。「診断的評価」・「形成的評価」・「総括的評価」の3つの評価を通して、ほぼ全ての学習者に一定水準以上の学力を保証することを目的としている。

    学校教育の過程ではさまざまな段階での評価がある。近年、ますます多岐・多様になってきている。何のために、何を評価しようとするのかにより、評価の内容も大きく変わってくる。

    年度初めなどに行われる診断的評価、授業中の態度や意欲などの評価、宿題・課題・提出物の評価、授業の区切りごとに行われる到達度テストなどの形成的な評価、中間・期末テストなどの総括的な評価など。さらに近年では、教育行政の立場から、市や県、国が行う学力到達度検査なども増えている。学習の結果をテストという形で評価するのではなく、生徒の理解や思考の過程などを継続して評価しようとするポートフォリオという手法も注目されている。特に、点数の集計による評価から点数化しにくいものを評価しようとする動きが出ている。教育の場で行われる評価は「教育評価」といえる。しかし、その実施目的により、実施方法や出題内容や結果の集計方法、評価資料などで大きな違いがある。それらの評価を一括して捉えることは困難だろう。教育評価の目的により、方法や内容や資料も変わってくるからである。近年の教育評価は、ほとんど「到達度評価」一色といっても過言ではない。教育目標に対する到達の程度を評価しようとするもので、教育目標に準拠しそれを規準とすることから絶対評価といわれる。だが、最終的に個々の到達度評価をABCや5段階に評価する段になると、相対的な評価手法をとりいれることで客観性や公平性を確保しようとしている。
    2)評価方法の変遷

    教育評価はまず認定評価であった。認定評価とは、教師が主観的に子どもを評価することであり、その結果は教師によって異なることが多かった。次に、教育評価は相対評価の方法がとられることとなった。相対評価とはあらかじめ決めた配分にしたがって、子どもの学力を判断し、評点を決める方法である。相対評価では、例えば5段階であれば、必ず1と5が少なくなり、3の割合が最も多くなる。相対評価の次は、目標準拠評価である。目標準拠評価は、授業の前に立てた目標に基づいて子どもの学力を評価するものである。この場合、日標が評価基準となる。

    教育現場で評価を考えた場合、学習者(児童・生徒)を目的とするものと、教師を目的とするものに大別される。だが実際には、誰のための評価かの判断は難しいと言える。その多くは、学習者を目的とすると同時に指導者の側の活用も目的とするなど、複数の目的をもつものが多くなる。

    入学試験は、入学者数を選抜するためのテストであり、教育評価とはいえない。また、行政が教育行政の施策を主目的として行う検査や調査も、教育評価から外れる。だが、学校や保護者等へのフィードバック情報により、広義の教育評価に含まれる。

    評価の目的は多様だが、どの評価も最終的には子どもたちの人間的成長と学力の向上をめざすことになる。学習者のための評価といえば聞こえは良いが、いわゆる形成的評価は少なく、多くは管理目的の総括的評価になることが多いように思う。
    3)相対評価のデメリット

    相対評価は、教育評価として考えるとデメリットが大きい。その理由は次のとおりである。

    1.子どもの排他的競争を過熱させる

    2.教師や子どもの改善につながらない

    これらに加えて、教室という少ない母集団に対して、正規分布曲線を用いるのも無理があると批判されている。これ以外にもある。

    3.「全ての子どもの学力保障」という理念

    子どもたちにどんな学力がついたのかがわからない。学習目標に対する達成の程度がわからない。

    4.「テストに合わせて教える・学ぶ」可能性

    良いか悪いか、テストの出題範囲を集中して勉強する、そのために勉強する。

    それが学習の動機付けとなっていること。

    5.目標の達成度を判断する基準が、必ずしも用意されていない。

    相対評価は、評価そのものとしては、指導目標である学習内容そのものについては評価しない。

    6.個人内の変化を把握するのには不向きであること。

     これらを踏まえ、相対評価はテストだけの数値のみしか評価できないことが分かる。
    4)教育評価の問題点

    現在の教育評価は、評定も絶対評価で行われることになったが、次のような解決すべき絶対評価の問題点があげることができると思う。

    1.評価規準の設定

    各教科の達成規準をどこにおくか、その評価規準の設定が問題になる。規準により甘い、辛いが生じ、学校差も生じる。教科ごとに、何を・どんな方法で評価し、何を規準に評定するかを決めることが必要である。

    2.達成不十分への対処

    基礎・基本の徹底を目指して、いかに指導法を工夫しても、実際には達成不十分の子どもが出る。それに対して補充プログラムを用意して特別に指導することも必要になる。教育的責任を問う傾向が強くなると、学校や教師の指導の責任が問われることになる。

    3.外部への説明

    教育情報の開示に関連し、なぜこのような評点をつけたかについて説明を求められることも起こる。相対評価であれば、評定が低くても学級内の相対的位置として説明できるが、絶対評価では、これができない。その原因を教師の指導力か、本人の能力、努力かに帰することになる。評定に対する批判に応えるためには、子どもの知能、性格、学び方、学習スタイルなどについて十分に資料を用意し、指導にも十分に配慮したことを説明できるようにし、評定についても、なぜ、このような評定をしたかについて、それを説明し、その妥当性を主張しうるように資料を整えておくことが必要である。特にこれからの評価では、公平性、客観性、信頼性、弁護可能性(評価の正当性を主張しうること)が求められる。

    ②今後の自らの実践の中で、どのように評価を運用し改善したいと思うか。授業で扱った評価に関する現状と課題及び政策や評価論の動向に触れつつ書きなさい。
     「教育評価」の目的は、「子どもの学びを改善することであり、現在の目標準拠評価の起源ともいえる1970年代の到達度評価運動は、すべての子どもを到達させるという目的(思想)のもとに起こった運動である。つまり、子どものつまずきをチェックすることで、それに対して何かしらの手だてを加えて、つまずきをなくそうとすることが教育評価の目的であった。まさに「子どものため」に教育評価は存在していた。

     現在の教育評価は「子どものため」のものとなっているだろうか。教育現場で行われている教育評価を目にする限り教育評価はそうはなっていないように思える。教師は教育評価の結果に対していつでも説明することが求められる。その理由は、教師の行う教育評価が「平常点」として、内申書等を経由して選抜に利用されるからである。選抜に利用される限りは、不公平なものであつては不都合なので、教師の意識は、教育評価を公平なものとすることに向けられる。その結果、公平な結果が得やすいもの、公平だと説明できるもののみが教育評価の対象として選ばれるようになり、教育評価の議論からは、「子どもに育てたい(到達させたい)学力は何か」という本質的な問いにもとづいて対象を決めるというプロセスは抜け落ちる。ここにおいて、教育評価の目的の逆転現象が起こる。すなわち、「子どものための教育評価(全員到達のための教育評価)」ではなく、「選抜のための教育評価」となる。たしかに、一度きりの入試結果による判定ではなく、平常点も加味して、判定したいという思いは、一度きりの選抜において普段の力が出せず失敗してしまつた子どもの姿を想定したもので、そうした子どもがいることは現実である。そうした不幸な子どもを生み出す制度の弊害をできるかぎりなくそう(最小化しよう)という善意には反論するところはない。授業では入試の話になったが、普段の成績づけにあたる部分においても、学期末のテストで調子が悪かった生徒を平常点が救うという側面もある。しかしながら、平常点を選抜に加味しよう(あるいは成績づけに加味しよう)とすることで、「教育評価」の目的がゆがめられ、教育評価の説明責任で教師が整弊し、選抜に加味される評価結果に反発する子どもを生み出し、「教師と子どもの関係をおかしくしている」という現実がもう一方であることを忘れてはならない。平常点の加味によって、日常の教育評価が説明責任にひっぱりまわされているのだとしたら、平常点など必要ないのではないと思います。

     これまでの、授業を踏まえ、私が感じたことは、絶対評価は学力だけの数値ではなく、子どもたちの意欲・関心・態度などを数値化することで学力だけの評価はなくなります。しかし、児童・生徒の評定は子どもが持っている学力ではないことが言えます。この評価基準は教師の感性によって異なり、子どもたちの意欲・関心・態度などの見る目や評価基準が左右されることが今の教育評価の問題点だと思います。
    5

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。