日本大学の歴史

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    現在の日本大学が日本法律学校として発足した後、明治36年3月に文部省より「専門学校令」が交付された。
    同明治36年8月19日、日本法律学校から「日本大学」へ改称した。また、日本法律学校2代目校長だった松岡康毅が、引き続き初代校長に就任した。
    なお、日本大学への改称については、文部省が
    「日本大学という名称では、日本を代表する国立大学と勘違いされる恐れがあるから別な名前にしてほしい。」
    と要望したのに対し、戸水寛人が
    「日本大学が駄目ならば日本中学校の名前はどうなのか。」
    と反論し、「日本大学」という名称が認められた。
    翌年(明治37年)4月に専門学校令による認可をうけ、7月には予科第一回生が終了した。
    その後、明治37年9月に大学部法律科、明治38年9月に商科を設置し、明治時代末期には学生数がおよそ3000人に達していた。
    さらに、大正7年12月には文部省より「大学令」が交付された。
    この大学令には私立学校の設立認可条件が示されたが、その内容は、
    1.1大学50万円の供託金を納めること
    1.1学部増えるごとに10万円の供託金を納めること
    となっていた。
     日本大学では、大正8年の創立3..

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