「イスラム・スカーフ事件」から見る移民問題―ライシテとイスラム教―

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    資料紹介

    ……1989年の「イスラム・スカーフ事件」は知識人を巻き込み、フランスを二分する論争を巻き起こした。パリ郊外のクレイユ市にあるコレージュ(フランスの前期中等教育機関であり4年制。日本でいう小学校6年生から中学校3年生の期間に相当)において、スカーフを着用していたフランス生まれのモロッコ系ムスリムの女子学生のレイラとファティマ、そしてチュニジア系ムスリムのサミラの三人が、学長の再三の注意にも関わらず、教室でスカーフを外すことを拒否したという理由で退学処分になったのがこの事件である。
     コレージュに限らず、公立学校におけるムスリム女子学生のスカーフ着用は80年代には広く見られており、しかもそれらは特に問題を引き起こすものではなかった。仮に問題となった場合でも、教師と生徒や保護者との対話によって対処しうるような瑣末な問題であった。しかしながら「イスラム・スカーフ事件」が、後に語り継がれるような大きな論争に発展した主な要因は、知識人がこの事件をこぞってフランス共和制の基本的理念の一つ、ライシテに触れるものとして論じたためである。イスラムのスカーフが当時のフランス社会で持っていた意味合いは複合的である。第一には、宗教的な記号・信仰の証であり、ライシテと衝突したのは当然、スカーフのそうした側面であった。しかし、それだけではなく、スカーフは政治的な記号としても機能していた。1979年にイラン革命があり、フランス国内でもイスラム原理主義者によるものとみられるテロが頻発していた時代に、公共空間でスカーフを着用している者がいる。当の女子学生たちの意図とは無関係に、人びとが政治的イスラム主義とつながる挑発的な態度をスカーフの着用から感じてしまうことは想像に難くない。
     退学処分を受けた女子学生たちは、当然ながらみな移民であった。1960年代、後に「栄光の30年間」と呼ばれる高度経済成長期のフランスは労働力不足に悩まされていた。そこで政府は労働者を移民として受け入れる政策を行った。そして、1980年代。冒頭で述べた「移民制限政策」により多くのムスリム系移民がフランス市民として人生を歩むようになった。女子学生たちはそういった移民たちの子ども、すなわち移民第二世代である。フランス社会はフランス市民としての「平等」を要求した。それは10代半ばの女子学生たちにとっても例外ではなく、公立学校という公共空間では尚更であった……。

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    【課題】
    「イスラム・スカーフ事件」について、①その概略を説明し、②その事件の高校生の今日
    的な発達課題にとっての意義と社会的な意義について述べなさい
    「イスラム・スカーフ事件」から見る移民問題
    ― ライシテとイスラム教 ―
    1.「イスラム・スカーフ事件」の概略
    フランスは欧州最大のムスリム国である。フランスの総人口のうち、ムスリムが占める
    割合はおよそ8%、数にして 500 万人にものぼる。これほどムスリムが多い要因の一つに、
    かつてのフランス植民地がイスラム圏だったことがあげられる。フランス革命で誕生した
    普遍主義思想は、「人類は皆すべての価値観を共有する」、「人類は皆平等」という観点から、
    イスラム系植民地の住民に対してもフランス式の教育を行い、フランス的思想を教え、啓
    蒙化に努めた。そこでは当然フランス語が用いられたため、イスラム系の植民地住民たち
    はある程度はフランス語を理解することができるようになった。
    それら植民地の独立後、ムスリムたちは、よりよい暮らしを目指し、季節労働者として、
    もしくは移民として相対的に馴染みのあるフランスに移住した。このようにしてムスリ..

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