0414_アメリカ文学史(分冊2)

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    アメリカ文学史分冊2の合格リポートです。
    ご参考までに。評価の中でダメだしをされているところがあったので無料で公開します。

    資料の原本内容

    0414 アメリカ文学史

    分冊 2
    1929年の経済破綻は20年代の幸せや自信、活気を壊滅させた。多くのアメリカ人が職を失い、世界恐慌の時を迎え、社会的憤りと自責という新時代に突入した。多くの作家が新種の左翼や社会主義、自然主義に傾倒し、一般大衆の奮闘、努力、あがき、そして悲しみを表現した。一方で彼らの強さや活力、希望を見出した。文学は力強く、活気に満ち、そして読みやすい文体で当時の様子を鮮明に描いたことがこの時代の文学の特徴である。30年代初期、経済危機により熱狂的なマルクス主義のプロレタリア文学運動が起こった。よりよい生活を求めヨーロッパを去った移民のアメリカン・ドリームの失敗を主題とした作品がGoldを筆頭にユダヤ系アメリカ文学で見られた。アメリカの暗黒部分を浮き彫りにし、現実を直視する新聞記事を読むような真実味を伴う作品、そして非純文学の傾向がこの時期の文学の特徴であろう。その写実主義を見せる代表作家としてJohn O’Hara, John Steinbeck, Henry Miller, Erskine Caldwellを挙げる。

    John Steinbeck(1902-1968)はO’Hara同様「全てを書き記」(get it all down on paper)そうとした作家である。30年代、彼の作品の登場人物たちは文字通り「自然的」であった。SteinbeckはOf Mice and Men(1937)やThe Long Valley(1938)に見られるような間抜けのレニーや裏切られた夫のような、無知・純心の殺人者(innocent murders)をも描いている。彼は全ての作品で物事をそこに生きる人々への深い共感を持ったまなざしを向けている。彼は個人ではなく集団の中での人間性を探求していることが特徴である。The Capes of Wrath (1939)は彼の傑作であり、登場人物たちは「人生よりも偉大」である。彼はある家族の体験談を説明するにとどまらず、この家族を通して国家の悲劇を物語った。Henry MillerはWolfe同様に純文学に異を唱えた作家であるが、彼よりも強硬であった。Millerの全作品が自叙伝を軸にしていた。The Cosmological Eye (1939)では激しい憤りに始まり、Millerは人生観について独自の見解を発展させた。笑いと、自由と、喜びが人生の目的であるべきだとした。Rosy Crucifixion3部作(Sexus 1949, Plexus 1953, Nexus 1960)は彼がアメリカに帰国してから創作され出版された作品で、人生についての重い主題を多くの笑いで織り交ぜている。この3部作は心身の開放を謳い讃えている。彼は無政府主義を作品で表わしており、それは反政府主義の新しい世代へ波及した。詩人のKarl Shapiroをはじめ多くの詩人が自身をMilleriteと名乗り、60年代にはヒッピー世代にまで影響を与えた。Erskine Caldwellは全ての者にとっての導師ではないが、人間性への快楽への価値観はMillerに通ずるところがある。Millerのように彼もセックスについてしるし、彼の描く濡れ場もMillerのように野性的で愉快なものであった。Tobacco Road(1932)で人気を博し、セックスへの赤裸々な表現はアメリカ文学の主流となった。彼の作品は写実主義と南部のユーモアとが融合している。彼の作品への批判としてCardwellは虫けらのように人を扱い、複雑な社会状況へ押しやっているというものがあるが、彼は愚かであるが情熱を持った愉快な人物を多く描いているといえよう。

    Steinbeck『ハツカネズミと人間』においては、クルックスとレニーのやり取りは特筆すべきシーンの一つといえよう。彼はレニーの他の人物にはない人情に触れ、自身の孤独さや、孤独がいかにつらく悲しいものであるかを語るが、それはまた当時の孤独さや不安定さを抱えたアメリカ社会を映し出している。クライマックスである事件は、当時の期間労働者のささやかな休日の場面で起こる。夢を語りながら、友を撃たねばならないジョージ、撃たれることを受け入れるレニーの場面ではアメリカン・ドリームとは何なのか、希望がどこにあるのか、読者もまた自問自答する。何気ない会話の、この物語で何度も繰り返されてきた彼らの夢を語り合うシーンを最後まで反芻するような何気ないやり取りの中からジョージのやるせなさが伝わってくる。淡々とした写実的描写を通して、現実の中で生きる人間の問題が深められ、虐げられた人々の人間愛や困難を切り開く逞しさが映し出され、心を打つものがある。悲劇も喜劇も、夢も挫折も日常の中で繰り返される。人間は怖れ、飢え、セックス、自然の崩壊(自然破壊)、資本主義という悪魔によって、社会や人間関係の中で翻弄される。犯罪はその勢力や抑圧の結果、あるいは無知による過ちとして起こるものであるとSteinbeckは物語っている。これを感傷主義的であるとする批判もあるが、彼が見出したかったのは負の部分にある愛や優しさ、人の愚かさ、翻弄されながらも立ち向かう強さである。それを描くのにはある一定の暗さや哀しみがなければ映しだされ得ないものであろう。その意味では彼の感傷主義はSteinbeckの作品を特徴づけるものとして位置づけられるべきであるし、彼の作品は現実の社会問題を直視する契機となりうるのではなかろうか。
    なぜか感想を駄目だしされましたが…どこかの感想をまねしたと思われてしまっています。実際私の本当の感想なのですが…スタインベックの感傷主義の側面ばかり求めながら作品干渉をしてしまったのと、選んだ作品がof Mice and Menというせつない作品のせいだったかもしれません。個人的感想ですが、スタインベックの作品全体に共通してどうしようもない(絶対的にあらがえない)圧力の中でいかに生きるか、あるいはそのように生きていってしまう人間を傍観・俯瞰する哀しみと、それでもなお求めるあすへの希望が入り混じり、夢を見た瞬間それはため息に変わり、それが日々繰り返されていく。人間の日々の感情は周囲によって左右される…そんなものを描いている気がしてなりません。作品の登場人物心情のみに焦点を当てての分析だけでなく当時の社会情勢等を背景にして感想を書いた方が面白いのかもしれません。

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