紛争の現場から9条を展望する

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    資料の原本内容

    2008憲法講演会「紛争の現場から9条を展望する」
    はじめに5月3日の憲法記念日に那覇市民会館で開催される憲法講演会へ多くの県民の参加を呼びかけました。憲法講演会は、平和憲法9条の持つ意味や憲法の力など、憲法について考える機会にしようと毎年開かれているもので、今年は、東京外国語大学大学院教授で平和構築と紛争予防講座長の伊勢崎賢治さんを招いて、「紛争の現場から9条を展望する」と題する講演をしました。伊勢崎さんは、国際NGOの一員としてアフリカ各地で国際援助活動をされてきた方で、後に内戦がおこるシエラレオネでは、主に子ども達の「いのちをまもる」援助を受けもち、初の外国人議員としても活躍されていました。そのシエラレオネの内戦は10年間続き、50万人もの人々が殺されたといいます。その間、国際社会は「保護する責任」を怠ってきたのではないか、と伊勢崎さんは指摘します。ほかにもタリバン政権崩壊後のアフガニスタンで外務省の依頼を受け、6万人の兵士の武装を解除するなど、世界の紛争地の最前線で平和解決に尽力し、そのユニークで説得力のある平和観は、マスコミで取り上げられるなど話題を呼んでいます。会場には様々な年代の約1000人が集い、「今年はどんな話がきけるかね~」といった風に一つのイベントとして定着した感が醸し出されていました。
     講演は紛争の現場、世界から見た日本の9条の大切さを訴えるものでした。「私たちが守ってきた子どもたちは、内戦の中で殺されるか、手を切られるか、少年兵になっていった―」伊勢崎さんは、国連軍と共に一つひとつの武装勢力に対して粘り強い交渉をつづけ、少年兵らの投降をよびかけていきます。東チモール、タリバン政権崩壊後のアフガンでも、同様の任務を指示し、武装解除を成功させています。この時、伊勢崎さんは「日本には9条のイメージがあるからできたこと。アメリカにはできない」と感じたといいます。 最後にこう語りました。「戦争とはひとつの業界である。みんな(軍事産業関係者)戦争が起こるのを待っている。我々の(戦争が起こるのではないかという)注意を持続させるのは大変に難しい。しかし9条を持っている日本が、世界中の戦争を予防する責任があると考えます―」 次第に世界から忘れ去られていく戦争が存在します。ユーゴへのNATO空爆をすぐに思い出すことはできません。しかし、それは過去のことでしょうか?今現在もアフガンやイラクでは戦いが続いています。
     まとめとして「沖縄の旅・アブチラガマと轟と壕―国内が戦場になったとき」をよんでもそうでしたが、半世紀前の戦争中にこのガマは避難壕として軍・民双方に使用されていました。ガマの中では傷口ウジがわいたとはよく聞かされたけれど、その様子を「爪楊枝の丸い束のように肉が盛り上がり」「その傷口をちょっとつついたら突然グジュグジュと傷が動き出した(つまりそれは大量のウジだった)」と描写されては、もう鳥肌を立てずに読めません。このような体験者の肉声は、まるで映像でも見ているように読者の想像を駆り立てます。人びとの忘却の彼方にあったこれらガマの記憶をたどりよみがえる真実。裁かれざる「犯罪」は放置されたまま、今まだ闇のなかに眠っている。戦争は何も生み出さない。生み出すとしたら後悔と心の傷人間の不の感情。戦争は人間史上最大の消費です。
    だからこそ戦争を起こさない努力を、いかにして注意深く持続させていくことができるのか―9条は、その道すじを開いていることに間違いはないと、改めて確信しました。
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