『十二国記』レポート

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    資料紹介

     『十二国記』の根底にある思想は変わっていると思う。私が普段、欧米のファンタジーしか読まないからかもしれない。この物語には、「神」=「天帝」という存在はあるが、絶対的な悪の存在がない。このことは、キリスト教が土台となる欧米のファンタジーでは考えられないだろう。『十二国記』は、基本的に中国の思想が土台となっている。中国の思想といっても数限りなくあるが、最も有名な孔子の「仁」、その教えを大成した孟子の「性善説」「易姓革命」、そして「道タオ」の概念を説いた老子から始まる「道教」が中心となっている。次は、それぞれについて考えてみる。
     まずは孔子の「仁」。「仁」とは、相手に対する敬愛の気持ち、思いやりの心。『十二国記』でいえば、「麒麟」である。本でも、「麒麟の性向は仁で慈愛の深い生き物」で、「争いを厭う」とある。中国では、聖人が出て王道が行われた時に「麒麟」が現れる、とされる。

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    あらすじ
     普通の高校生だった中嶋陽子は、ある日、突然現れたケイキとともに十二国の世界へたどりついた。ケイキとはぐれ、海客として追われ、妖魔に襲われ、人に騙され、孤独な陽子は人を信じないと決める。飢えと疲労で霞む意識の中、ネズミ(楽俊)に助けられる。楽俊に「雁国に行けば助かる」と言われ、共に旅に出る。途中、蠱雕(コチョウ)に襲われ、陽子は楽俊をおいて逃げてしまう。後悔し、「自分が人を信じることと、人が自分を裏切ることは何の関係もない。」と悟り、戻ったが楽俊はいなかった。陽子はひとり船に乗り、雁国に降り立つ。そこで楽俊と再会した陽子は、ケイキが慶国の麒麟であり、自分が景王であると知る。妖魔に襲われたところを延王に助けられ、ともに関弓にある玄英宮へ向かう。延王から「現在の慶国の状態」「王とは何か」「天意とは何か」を聞き、陽子は悩むが楽俊の言葉に押され、王となることを決意する。陽子はケイキを助け、再び契約を交わす。
    分析・考察
     『十二国記』の根底にある思想は変わっていると思う。私が普段、欧米のファンタジーしか読まないからかもしれない。この物語には、「神」=「天帝」という存在はあるが、絶対的...

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