教育史 設題2

閲覧数907
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    タグ

    佛教大学レポート

    代表キーワード

    佛教大学教育史

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    ルソーの教育思想について述べよ。
     ⇒1712年、スイスのジュネーブで生まれる。父親は時計職人であったが、無責任な親であり母親が亡くなると幼いルソーを見捨てて逃げた人である。その後、牧師宅で育てられるが、厳格なその牧師と肌が合わず、牧師宅を飛び出し、寂しい幼年期を過ごす。後に彫刻屋の弟子となり、16歳の時にジュネーブを飛び出す。
     1728年、ジュネーブを脱出し、協会の紹介でフランソワ婦人の保護を受け、初めて人間的な優しさにふれたとされている。この頃から独学でさまざまな勉強を始める。
     1741年、パリに出る。音楽で身を立てようとするが、上手くいかなかった。無名時代のディドロ、コンディヤックとの交際が始まる。この時期のルソーは下宿先のお手伝いの女性、テレーズと事実婚を行う。しかし、自分が父親になる自信が泣く、5人の子どもをもうけるが孤児院に出してしまう。このようなエピソードから、ルソーは矛盾の人と言われるようになる。
     ルソーは現代でも教育学の名著として読み継がれる『エミール』を書いた人であり、教育思想家として歴史に名を残す偉人であるが、父親としては無責任な経歴を持っていることも事実で...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。