日本文化論 設題2・近世の文学について-②

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    設題2.近世の文学について概説しなさい
    近世(江戸時代)に入ると印刷物の発達や国民の識字率が上昇したことによって読者層が拡大し、いわゆる町人文学の時代といわれる庶民の文学が主流となった。
    近世の文学は、普通前期と後期に大別される。前者は1600年から1770年に至る、上方が文学の主たる生産地だった時期。後者は1770年から1867年までで、中心が将軍のひざ下である江戸に移った時期である。

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    文学日本文化論

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    設題2.近世の文学について概説しなさい
    近世(江戸時代)に入ると印刷物の発達や国民の識字率が上昇したことによって読者層が拡大し、いわゆる町人文学の時代といわれる庶民の文学が主流となった。
    近世の文学は、普通前期と後期に大別される。前者は1600年から1770年に至る、上方が文学の主たる生産地だった時期。後者は1770年から1867年までで、中心が将軍のひざ下である江戸に移った時期である。
    上方(元禄)文化
    韻文
    俳句や和歌、漢詩、連歌、連句、などの韻文においては貞徳の貞門派、宗因の談林派の双方に俳諧を学び、あとをうけて松尾芭蕉が蕉風俳句を確立した。
    松尾芭蕉も当初は宗因に心酔し、談林派に加わりながら俳人としての地位を確立していくが、次第に談林派の俳諧に飽き足らなくなり、独自の俳諧の道を歩み始める。そして俗世間を離れ、独自の俳諧の作風を追求していった。それから宗因に代わって、芭蕉が俳諧の世界の中心人物になっていくわけである。そうして「蕉風」という作風を作り出した。  連歌の最初の句(五・七・五)を「発句」、というのだが、芭蕉は、この発句の中に全てを表現しようとした。その結果、連歌の発句だ...

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