宋と遼・金との関係を述べよ(2)

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    ●(課題5)宋と遼・金との関係について述べよ。
     まず最初に概略として960年(趙匡胤)が帝位について宋が建国される。宋は、遼・金との間に対立関係を持ち、最終的にモンゴル勢よって滅ぼされるまでおよそ3世紀続いた国家であった。宋の建国以前において、すでに中国周辺の諸民族・諸国は、唐帝国の影響を脱して独自の国家を建設していた。
     まずは、遼の歴史及び宋と遼の関係についてみていく。
    東部モンゴリアの地において耶律阿保機(やりつあぼき)は契丹族の帝位に就き、916年には皇帝を称し、年号を定めて国家体制を整えた。そして、西のタングート・吐谷渾と東の渤海国を滅ぼして東西に広がる大勢力を築いた。その後、第二代耶律尭骨(やりつきょうこく)は華北に侵入し、936年には後晋建国を助けて「燕雲十六州を獲得」した後、946年には後晋を滅ぼし、華北全域を領有することに成功する。「遼」という国号はこの時に始まり、後に(第六代聖宗)が大契丹に改めた国家であった。
     こうした「遼」の動きに対して「宋」では、太宗が「燕雲十六州の奪回」を目論んで北伐軍を進軍させたが、「遼」の軍勢の前に奪回は失敗に終わり、「遼」も南下して...

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