地域における古墳時代の様相

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    資料紹介

    1 はじめに
     古墳が発生した時期は確定できないが、遅くとも西暦4世紀初めには畿内とその周辺の地域には出現していた可能性が強い。その古墳は、7世紀まで築造されていく過程で多様な変遷を解けた。墳丘の形態をはじめ内部主体の構造と副葬品の組み合わせは、伝統的な様相にくわえて、そこにたえず発展的な新しい要素が吸収されて生まれた文化の動態をしめしていると思う。
     それはまた古墳被葬者の歴史的な、社会的性格の表明であると理解する。古墳の変遷の意味するものは埋葬観念の変化であり、社会的伝統の、ある意味での否定であり、それは根本的には被葬者の権威の変化にも帝王する現象である。少なくとも古墳はが、首長と民衆との政治的な絆の一表現であるとすれば、刻々と変わり行く古墳の姿は、そうした社会的関係の反映と見て差し支えることができないである。
    2 古墳時代の流れ
     古墳時代は、畿内を中心に考えると3世紀後半から4世紀初めにかけて始まり、7世紀後半には終ったと考えられていた。この時期,北海道と琉球列島には別の文化があり,日本列島には三つの文化が併存していた。日本列島の各地に村を幾つか集めたくらいの小さな「クニ」がたくさんあった弥生文化から,統一的な中央集権が一応成立する律令国家誕生にいたるまでのさまざまな社会の変革をしたのが古墳文化ということもできるだろう。古墳と呼ばれる塚をもつお墓が各地に作られた。前方後円墳と呼ばれるお墓が日本列島の古墳文化の特徴である。
     弥生文化の後半には,東北南部から九州北部にいたる日本列島の大部分の地域に小さな「クニ」が続々と生まれて,群雄割拠の状態が生じ,武力解決を含む争いが各地に繰り広げられた。それぞれのクニには王と呼ぶべき首長がいて,その首長はクニの軍事的・政治的支配者であるとともに神と人々をつなぐ宗教的な権威をもっていたと思われる。

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    地域における古墳時代の様相
    はじめに
    古墳が発生した時期は確定できないが、遅くとも西暦4世紀初めには畿内とその周辺の地域には出現していた可能性が強い。その古墳は、7世紀まで築造されていく過程で多様な変遷を解けた。墳丘の形態をはじめ内部主体の構造と副葬品の組み合わせは、伝統的な様相にくわえて、そこにたえず発展的な新しい要素が吸収されて生まれた文化の動態をしめしていると思う。
    それはまた古墳被葬者の歴史的な、社会的性格の表明であると理解する。古墳の変遷の意味するものは埋葬観念の変化であり、社会的伝統の、ある意味での否定であり、それは根本的には被葬者の権威の変化にも帝王する現象である。少なくとも古墳はが、首長と民衆との政治的な絆の一表現であるとすれば、刻々と変わり行く古墳の姿は、そうした社会的関係の反映と見て差し支えることができないである。
    2 古墳時代の流れ
    古墳時代は、畿内を中心に考えると3世紀後半から4世紀初めにかけて始まり、7世紀後半には終ったと考えられていた。この時期,北海道と琉球列島には別の文化があり,日本列島には三つの文化が併存していた。日本列島の各地に村を幾つか集め...

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