法隆寺

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    資料紹介

    <法隆寺成り立ち>
     法隆寺は聖徳太子の理想を実現しようとした意志に満ちたところであり、仏の世界とはこんなに美しい場所だということを、現実に形になっている場所である。聖徳太子は法隆寺に対して、ただ緻密にして美しいというだけではなく、スケールの大きさということも重視しました。仏教を公的に初めて取り入れた聖徳太子の時代に建てられた寺が、その後の寺院建築の手本となっていったのである
    <時代背景>
     法隆寺は、用明天皇が自らの病気平癒を願って発願したお寺ですが、完成を見ずに崩御、その後を継いで推古十五年 (607)に推古天皇と聖徳太子が完成させたお寺です。ところが、太子一族の滅亡後、天智天皇二年(670)に炎上、灰燼に帰します。再建は時を置かず天武天皇八年(680)に西院伽藍「金堂、五重塔、中門、回廊……」が再建されます。その後、天平十一年(739)、行信僧都によって夢殿を中心とする東院伽藍「夢殿……」が造られ、現在の法隆寺の基礎 が出来上がりました。
    <金堂>
    〜解説〜
     法隆寺金堂は二重基壇の上に建つ二重の仏堂。下重は正面3間、側面2間の身舎の四周に庇を巡らして正面5間、側面4間とし、その外周に裳階を巡らす。上重は正面4間、側面3間とし、人字型割束と卍崩しを配した高欄を設ける。柱は太い円柱で胴張りがあり、皿斗付大斗を載せて身舎、庇とも同じ高さにする。斗きょうは雲斗きょうと喪呼ばれる飛鳥様式独特のもので、雲斗と雲肘木には渦文が刻み込まれる。墨柱上では斗きょうを三方向に出さず、45度の方向にだけ突出させて軒を支持する。部材が木太く大柄なことも特徴である。一軒で角垂木を平行に配した軒の出は大きく内部は身舎の内側全体を使った須弥師を置き、高い折上格天井とする。釈迦三尊、薬師、阿弥陀の三仏に合わせ、三つの天蓋を下げる。庇は格天井を張る。裳階の天井は大和茸と呼ばれる板茸。

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    ~法隆寺金堂~
                           
    <法隆寺成り立ち>
      法隆寺は聖徳太子の理想を実現しようとした意志に満ちたところであり、仏の世界とはこんなに美しい場所だということを、現実に形になっている場所である。聖徳太子は法隆寺に対して、ただ緻密にして美しいというだけではなく、スケールの大きさということも重視しました。仏教を公的に初めて取り入れた聖徳太子の時代に建てられた寺が、その後の寺院建築の手本となっていったのである
    <時代背景>
      法隆寺は、用明天皇が自らの病気平癒を願って発願したお寺ですが、完成を見ずに崩御、その後を継いで推古十五年 (607)に推古天皇と聖徳太子が完成させたお寺です。ところが、太子一族の滅亡後、天智天皇二年(670)に炎上、灰燼に帰します。再建は時を置かず天武天皇八年(680)に西院伽藍「金堂、五重塔、中門、回廊……」が再建されます。その後、天平十一年(739)、行信僧都によって夢殿を中心とする東院伽藍「夢殿……」が造られ、現在の法隆寺の基礎 が出来上がりました。
    <金堂>
    ~解説~
      法隆寺金堂は二重基壇の上に建つ二重の仏堂。下重は正...

    コメント1件

    wearereds123 購入
    よい
    2007/07/19 20:22 (16年8ヶ月前)

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