津地鎮祭事件 高裁

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    資料紹介

    主   文
    原判決中、地方自治法二四二条の二に基づく請求を棄却した部分を取り消す。
    被控訴人は津市に対し、金七六六三円およびこれに対する昭和四〇年五月六日以降
    支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
    原判決中、慰藉料請求を棄却した部分に対する控訴を棄却する。
    訴訟費用中、地方自治法二四二条の二に基づく請求につき生じた部分は第一、二審
    とも被控訴人の負担とし、慰藉料請求につき生じた部分は第一、二審とも控訴人の
    負担とする。
    この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
           事   実
     控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は津市に対し金七六六三円及びこれ
    に対する昭和四〇年五月六日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支
    払え。被控訴人は控訴人に対し金五万円およびこれに対する昭和四〇年一月一四日
    以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審
    とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人
    は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め

    資料の原本内容



    原判決中、地方自治法二四二条の二に基づく請求を棄却した部分を取り消す。
    被控訴人は津市に対し、金七六六三円およびこれに対する昭和四〇年五月六日以降
    支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
    原判決中、慰藉料請求を棄却した部分に対する控訴を棄却する。
    訴訟費用中、地方自治法二四二条の二に基づく請求につき生じた部分は第一、二審
    とも被控訴人の負担とし、慰藉料請求につき生じた部分は第一、二審とも控訴人の
    負担とする。
    この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。


    控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は津市に対し金七六六三円及びこれ
    に対する昭和四〇年五月六日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支
    払え。被控訴人は控訴人に対し金五万円およびこれに対する昭和四〇年一月一四日
    以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審
    とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人
    は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め
    た。
    当事者双方の事実上、法律上の主張は、次に付加訂正するほか原判決事実摘示の
    とおりであるから、ここに右記載を引用する。
    請求原因第三項第二段落(原判決書二枚目表一行目より三枚目裏一行目まで)
    中、「(津市教育委員会は………収入役をしてなさしめたものである。)」とある
    部分および第三段落(原判決書三枚目裏五行目より一〇行目まで)中、「………が
    内部的には教育委員会の………共同でこれに関与したものというべきある。」とあ
    る部分並びに被告の答弁第一項(原判決書六枚目表一三行目より裏一行目まで)の
    うち、「被告教育委員会は右金員の支出行為には関与していない。」とある部分
    を、それぞれ削除する。
    (控訴代理人の陳述)
    第一 本件訴訟の意義
    一、精神的自由に関する憲法秩序保持の訴訟
    本件訴訟の骨子は次のとおりである。即ち、地方公共団体である津市が主催し
    て、神社神道の神職が主宰する地鎮祭を挙行し、これに要する費用を公金である津
    市の予算から支出したことは憲法二〇条及び八九条に違反するから、右公金の支出
    責任者である被控訴人津市長a個人は、右憲法の各条項及び地方自治法二条一五
    項、同法一三八条の二に違背し、違憲違法に支出した右金員(初穂料、供物青物代
    等金七、六六三円)を津市に対し賠償せよ等の請求をなすものである。
    世上、土木建築工事に際し、神道式に則つた地鎮祭がしばしば挙行されている
    が、この種の行事を本件の如く国や地方公共団体が主催して行うことは政教分離の
    原則を確立した日本国憲法の下においては許されず、行政実例をみるも、昭和二一
    年一一月一日発宗第五一号地方長官宛内務・文部次官通達以降今日に至るまで、一
    貫して、この種の宗教的儀式ないし行事を地方公共団体が主催することを厳しく禁
    じているのである。
    若し本件訴訟について、地鎮祭なるものは、いわば日常的に行なわれているので
    あり、またこれに支出される費用も通常は極めて少額であるから、これを違憲違法
    な支出として訴訟を提起してまで争う必要はないとの考えがあるとすれば、右見解
    は精神的自由の本質について著しく理解を欠くものといわなければならない。成
    程、本件訴訟は、その基礎とする自然的事実は、日常的儀式に関する少額の金員支
    出であるが、そこには国民の精神的自由の中核をなす、否、基本的人権の根幹をな
    すところの信教の自由及び政教分離の原則に関わる憲法上の重要な問題が潜んでい
    るのである。原判決が右の自然的、表面的事実にのみ目を向け、控訴人の本件請求
    を退けたことに控訴人及び参加人らは全く承服することができない。原判決は、後
    に述べるように明治憲法の下における国民の精神的自由侵害のいまわしい歴史に徴
    し、日本国憲法が厳粛に確立した日本国民の精神的自由に関する憲法秩序を形骸化
    するものである。
    さて、本件訴訟には憲法解釈上の論点が多々あるがとりわけ重要な理論上の問題
    は次の二点である。即ち第一に戦前戦中、明治憲法下において、〃神社は宗教に非
    ず〃という説明によつて実際には宗教である神社神道が国家権力と結びついて特権
    を得、他宗教を抑圧し以つて国民の精神的自由の侵害を招いたのであるが、その神
    社神道が憲法上宗教であるか否かが、本件地鎮祭の宗教性の有無に関連して問題と

    されている。本件訴訟は歴史的背景をもつ右の問題について裁判所の判断を初めて
    求めるものである。第二に神社神道の行事たる地鎮祭が憲法二〇条三項にいう宗教
    的活動か否か、とくにこれがいわゆる習俗化して宗教的意義を全く失つたものであ
    つて宗教的活動ないし行事としての実質を失つているか否かが本件の重要な争点に
    なつているのである。
    ここで留意せられたいのは、神社神道においては後にも述べるように地鎮祭と同
    様の神道式儀式によつて宗教団体としての日常の活動が行なわれていることであ
    る。万一にも神社神道は宗教でないとされた場合はもちろんのこと、地鎮祭が宗教
    的活動でないと判断されるようなことがあるとすれば、〃神社は宗教に非ず〃とさ
    れた戦前の宗教暗黒時代におけると同様に神社神道は真実宗教であるにかかわら
    ず、憲法上宗教として取り扱われないことになる。したがつて神社神道と国や公共
    団体との公の結びつきが野放しとなり結局他宗教の上に立つてこれを抑圧し、また
    無宗教の自由を侵害するところとなりかねない。更に地鎮祭その他の神社の祭儀が
    宗教の儀式、活動ではないということになれば、国や公共団体が国民に対し公権力
    をもつて儀式に参加することを強制してもさしつかえないこととなり、とどのつま
    り、政教分離の原則が崩壊することはもちろん国民の精神生活上もつとも根幹的な
    人権である信教の自由の保障も全く危くなるというおそれが生ずるのである。
    このことは単なる危惧ではない。とりわけ現在の政治、社会情勢をみると昭和四
    二年に国家神道と密接な関連のある紀元節が復活し(これは特定宗教たる皇室神道
    と神社神道の祭日である紀元節祭が公的に権威づけられたものである)、神社神道
    の一神社である靖国神社の国営化を図る靖国神社法案が再三にわたつて国会に提出
    されその成立が期されている。
    これらの一連の神道国教化の動きに対し教育、宗教、歴史、文化の各界や革新団
    体を中心とする国民各層の反対の動きも又活発である。紀元節問題についてみる
    と、右国民各層を結集した「紀元節」問題懇談会が早くから結成されるなど、国民
    多数の根強い紀元節反対の勢いを背景に反対運動が持続的に展開され、そのため紀
    元節法案は昭和三二年以来九回に渡つて国会に提案さのれながら、審議未了廃案と
    なり、建国記念日の日を審議会で定めることとする、いわゆる審議会方式をとる誤
    魔化しによつて、ようやく昭和四一年に至つて初めて成立するという経過をたどつ
    たのである。
    又、靖国神社法案については戦前戦中の国家神道のしつこくの悪夢の醒めやらぬ
    宗教界からまず反対の動きが出、早くからその意思表明が行なわれて来たが、昭和
    四二年同法案作成が具体化し自民党村上代議士のいわゆる村上私案が発表される
    や、仏教、キリスト教、新宗教(PL教団、立正佼正会等)、教派神道等、神社神
    道以外の各宗派が反対の声明を行ない、且つ、これら団体の加盟、関係する靖国神
    社問題連絡会議が結成され、法案の研究調査、国会政府への請願、集会デモ、ハン
    スト、霊じ簿抹消の請求等同法案に対するあらゆる形態の反対運動が以後、今日ま
    で行なわれているのである。
    特に特筆すべきことは、初めて靖国神社法案国会提出が決定された昭和四四年五
    月、神社神道を除く主要な宗教団体全部が一致して佐藤自民党総裁に対し同法案を
    提出しないよう強く要望したことである。
    明治以来、各宗教団体が一致して政治的行動をともにしたことは、いまだ嘗て無
    いことであり、いかに同法案が宗教界にとつて重大な意味を持つものであるかを物
    語るものである。現在では右の宗教団体に限らず教育、文化、歴史、各界労働組
    合、市民団体、自民党を除く各政党など、各界の広汎な反対運動がたかまつてお
    り、靖国神社法案は二回に渡つて廃案となり今日に至るもいまだその成立をみない
    のである。後に詳説するように日本国憲法が政教分離の原則を宣言するに至つたの
    は、明治憲法の下における国民の信教、思想、言論、集会等民主主義政治を支える
    基本的自由の著しい侵害のもととなつた神社神道と政治権力とのゆ着を排除するた
    めであつた。右の如く国家神道復活の兆の顕著な現下の社会情勢の下において裁判
    所がわが国における政教分離の原則の憲法事実を顧み国民の精神的自由に関する憲
    法秩序を保持されることを切望して止まない。
    二、住民訴訟の意義
    本件訴訟は地方自治法二四二条の二に基く住民訴訟である。住民訴訟は、憲法に
    定める「地方自治の本旨」なかんずく「住民自治」の原則に根底を有し、これを具
    現するために制度化されたものであり、そのねらいは後に述べるように住民に〃私
    設法務総裁〃としての役割を果たせることにある。
    住民訴訟の訴権を与えられているものは地方公共団体の納税者ではなく、住民で

    ある。このことは、住民訴訟の目的が納税者の利益の擁護に止まるものではなく、
    より広く、地方公共団体の機関または職員の違法な財務会計上の行為に対して、地
    方自治行政の公正と住民全体の利益を保障するところにあることを意味する。住民
    訴訟は「いわば法規維持を目的とする特殊の訴...

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