自分及び周囲に見られる日本語の表現や理解に関する疑問点

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    資料の原本内容

       「自分及び周囲に見られる日本語の表現や理解に関する疑問点、問題点を見つけ、その類例を集めると共にその原因と解決法について自分なりの見解を述べる。」
     
    現代社会において、言葉は日々変化している。しかし、「綺麗な日本語」「汚い日本語」の境界線が曖昧に張られている現代では、どの言葉が正しい使い方でどの言葉が間違った使い方をされているのかもよく分からないのが現状である。本稿ではそうした現代の日本語への疑問や問題を集めると共にその原因および解決法について述べることとする。
    1. 日本語を扱う人々の思考
     現代社会において日本語を扱う人々とは、大きく分類して3タイプに分けられる。まず40代以降の壮年・高齢者層、次に30代以前の青年・若者層、最後に日本に来て初めて日本語を学んだ外国人、である。このうち、40代以降の人々は昭和初期や戦後直後に誕生した人間が多く、それまでに用いられていた日本語のあるべき姿を基本的に持っているといえる。また、外国人層は日本語学校や留学などにより学んだ後に来日することが多く、訛りや発音方法の違いはあっても概ね40代以降の人々と変わらない日本語を使いこなすといえる。しかし、30代以前の人々にあってはその日本語の用い方に時々不安を生じさせられることもある。もちろん、日本語としての基本形は用いられることが多いのだが、テレビや雑誌などの影響を受けることも多く、変則的な用い方をすることもしばしば見られる。
     ここでは、その若者層の用いる変則的および誤った使用法の日本語について以下のように疑問点・問題点をあげながら述べることとする。
    2. 日本語を使用する際に気になる点
     「若者言葉」と呼ばれその使い方が危惧される言葉とは、どのようなものか。その具体例として挙げられるのが「マジ」「ヤバい」「ハンパない」「ウザい」などである。これらの言葉は元を正せばそれぞれ「本気」「危ない」「すごい」「うざったい」といった意味で使われるものであった。しかしこの若者言葉という使い方においては、「ヤバい」一つをとっても、「すごい」「危ない」「かなり危ない」「大変」などというように、色々な意図を含んだ言語として変化している。同様に、若者言葉から派生した現代人の敬語においても同じことが言える。「こちらでよろしかったでしょうか」「おビールの方お持ちいたしました」「こちらにお座りになってお待ちになってください」、など、若者にとっては意味が理解できる言葉であっても、壮年・高齢者層にとっては意味のまったく分からない言葉が増加している。これら若者言葉における敬語を正しい日本語に置き換えると、「こちらでよろしいでしょうか」「ビールお持ちしました」「こちらに座ってお待ちください」となる。
    正しい日本語を教わっていない、もしくは学んでいない状況の中に存在する現代の若者には日本語の使い方をいくら注意しても理解しづらいだろうが、その間違いは敬語や単語だけでなく、漢字の読み書きや筆順あるいは丁寧語などにおいても幅広く浸透してしまっており、それらを全て直すことは困難を極めるものである。そのため、これらを全て直そうとするのではなく、小さなことから正していくことが必要となってくる。
    3. 標準語と新・日本語
     現代の日本語における標準語とは、昭和以前より用いられているものであり、その姿は不変のものと思われていた。しかし、若者言葉の流通により壮年層にも変化が現れている。その代表的な言葉遣いに「ら抜き言葉」がある。ら抜き言葉とは、「来れる」「食べれる」といった、標準語にはない言い回しのものであり、正しい「来られる」「食べられる」といった用い方がなされないものである。このような標準語は一般的に小学校および中学校において学ぶものであるが、この学習体系の中ですでに学ぶものが間違っている場合も見られる。
    近年、学校社会において定年制度を要因とした壮年層、いわゆる「団塊世代」から大学を卒業したばかりの「若者・青年層」への教員交代が活発化している。これにより、標準語および正しい日本語を用いることの出来る世代の教員が減少し、今まで若者言葉の中で生活・成長してきた世代の教員が誕生してきている。これにより、それまでの小学校教育において規範となるべき教員層の言葉遣いや表現方法にも誤差が生じるようになってきている。例として、前述した「ヤバい」という単語がある。この言葉は若者層に広く浸透している言葉であり、団塊世代を含む壮年層では用いられることもほとんどなかった言葉であるといえる。しかし、若者言葉を使う機会の多い世代が教員になった場合、授業中のふとした瞬間に「ヤバい」「ダルい」「めんどい」などといった略語や新・日本語を使うことがあった場合、その影響力はおそらく若い教員の世代が考える以上のものとなるであろう。
    小学校や中学校において学んでいる子どもたちは、家庭・地域・友人から受ける影響と共に教員から受ける影響も大きいものである。そのため、仮に教員が「ヤバい、間違えた」「ほんとダルいな、今日は」「めんどいな、仕事」などといった言葉を子どもたちの前で用いた場合に、その教員が子どもたちに好かれていればいるほどその言葉遣いを真似る機会も多くなってしまうのである。その結果、幼い頃に聞き記憶に残ってしまった言葉遣いを成人してからも使い続けてしまう、ということにもなっていく。こうした間違った教育を施すことのないよう、良くも悪くも子どもたちの見本となってしまう「大人」は気をつけるべきなのである。
    正しい日本語を取り戻すための解決法
     では、正しい日本語を学習し間違った言葉である若者言葉を使うことのないように子どもたちに指導するにはどうしたらよいのか。その解決法として最もふさわしいものが「辞書の活用」である。辞書には当然のことながら日本語の正しい表記および意味の説明がなされており、特に「広辞苑」には今までに用いられてきた日本語の単語および文法の表記がなされている。ただ単に辞書を引くのではなく、今までに自分たちが用いてきた日本語の間違いを修正するためにも、活用法や敬語への変化などを正しく理解し、言語力および理解力をつけることが必要とされる。また、一つの辞書だけを引用し学ぶのではなく、二つ以上の辞書を引き比べ、どの表現が最もふさわしいのかを単語ごとに理解することも必要である。単語一つをとってもその引用法は幅広い場合もあるため、用途に応じた用い方を学ぶと共に、知識として自身が用いる際に注意しながら留めることが重要である。
     さらに、「古典」を用い美しい日本語を知ることも必要である。日本人にとって日本語とは古来より伝達される言語であり、なじみが最も深いものである。そのため、古典的書物を読み理解することで、自身の日本語に対する愛着も深まるのである。
    5. まとめ
     現代社会において日本語の間違った用法が広く取り上げられている。しかし、その原因を探る機会が少ないため、間違いを正すこともほとんどない。間違いを正すためにはまず、教育者自らが日本語に対する理解と愛情を持つことが大切なのである。

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