マックス・ウェーバーと政治

閲覧数5,797
ダウンロード数37
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     社会学者であり、自由主義者でもあったマックス・ウェーバーが政治をどのようにとらえて、どのような構造をしていると考えていたのだろうか。
     「一切の究極的問題は例外なく純政治的な出来事に関係している―――それがいかに外面的に見えようとも」というウェーバーの言葉には、政治という概念に対する彼の態度が現れているように思われる。政治とは、人間集団における秩序の形成と解体をめぐって人々が行う営みであり、権力・政策・支配・自治にかかわる現象である。しかしウェーバーは政治とは国家の指導あるいは指導に影響を与えることであるという定義を与え、「国家」という政治社会の存在に注目している。「国家」とは単なる政治団体ではない。ロシアの革命家であったトロツキーは「すべての国家は、暴力の上に築き上げられている」と述べているが、これはつまり「国家」は強制力を保持しているという意味だ。ウェーバーもこの事について肯定的である。昔から今日にかけても強制力は国家にとって手段のひとつであり、また特有の手段でもある。すなわち、国家は合法的な物的強制力の保持を自らに要請し、自らに物的強制力の行使を認めているといえる。そのために強制力に対する人々の権利は、国家にのみ求めることを認めざるを得ない。国家は強制力に対する権利の唯一の源泉なのである。以上のことから、国家相互間の権力や自国内における人間集団相互間の権力などの、全ての権力に対して働きかける動き、権力の分配を左右しようとする動きは「政治」という概念に包含されていると述べることができる。
     人々は「政治」を行うことができる。しかし、それは誰もが同じ「政治」を行えるわけでは勿論ない。「政治」には経済的な面が大きく影響するからである。
     政治を職業としている人々の特性は、経済的な、もしくは精神的な面から二分することができる。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    マックス・ウェーバーと政治
     
    社会学者であり、自由主義者でもあったマックス・ウェーバーが政治をどのようにとらえて、どのような構造をしていると考えていたのだろうか。
     「一切の究極的問題は例外なく純政治的な出来事に関係している―――それがいかに外面的に見えようとも」というウェーバーの言葉には、政治という概念に対する彼の態度が現れているように思われる。政治とは、人間集団における秩序の形成と解体をめぐって人々が行う営みであり、権力・政策・支配・自治にかかわる現象である。しかしウェーバーは政治とは国家の指導あるいは指導に影響を与えることであるという定義を与え、「国家」という政治社会の存在に注目している。「国家」とは単なる政治団体ではない。ロシアの革命家であったトロツキーは「すべての国家は、暴力の上に築き上げられている」と述べているが、これはつまり「国家」は強制力を保持しているという意味だ。ウェーバーもこの事について肯定的である。昔から今日にかけても強制力は国家にとって手段のひとつであり、また特有の手段でもある。すなわち、国家は合法的な物的強制力の保持を自らに要請し、自らに物的強制力の行使を認...

    コメント4件

    kaokaokao 購入
    とてもよく書けていた。
    2006/01/29 3:51 (18年2ヶ月前)

    grace29 購入
    参考になりました。
    2007/01/06 21:43 (17年3ヶ月前)

    aqua 購入
    参考になりました。
    2007/03/22 19:26 (17年前)

    fudandaxue 購入
    .
    2007/06/12 12:44 (16年9ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。