在テヘラン米国大使館員人質事件

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    資料紹介

    1.事件の概要
    (1)事実
    1979年10月、イラン革命後に亡命したシャーの米国入国をめぐり、米国・イラン間にあった以前からの緊張がますます高まる中、21日に米国はイランにシャーの入国許可の決定を通知した。11月4日、在テヘラン米国大使館員人質事件に武装集団が侵入、大使館・居住棟その他を占拠し、外交官・領事館員を人質にとった。イラン人警備員は姿を消し、再三の米国による救助要請受けてもイランは襲撃の防止措置を講じなかった。大使館占拠数時間後、タブリーズ及びシラーズの米国領事館も占拠されたが、やはり措置はとられなかった。宗教的指導者ホメイニの指示で、一部が解放された後、人質は48名の外交官・領事館員と2名の私人であった。その後、ホメイニをはじめイラン高官らが、大使館占拠を支持し是認する(approve)意を表明した。11月9日、米国は国連安保理に緊急の対処を要請した。11月17日のホメイニの布告は「米国大使館は防諜と陰謀の本拠地であり、大使館占拠と人質の抑留は、米国がシャーを引き渡すまで継続する」とのイランの意図と政策を表明した。11月29日、米国はICJに本件を提訴し、同時に、仮保全措置を申請した。12月5日、ICJは、人質の即時解放その他の措置命令を発した。
    (2)米国の請求
    1、(

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    演習 
                                    
    『在テヘラン米国大使館員人質事件』
    国際司法裁 判決 1980年5月24日
    1.事件の概要
     (1)事実
         1979年10月、イラン革命後に亡命したシャーの米国入国をめぐり、米国・イラン間にあった以前からの緊張がますます高まる中、21日に米国はイランにシャーの入国許可の決定を通知した。11月4日、在テヘラン米国大使館員人質事件に武装集団が侵入、大使館・居住棟その他を占拠し、外交官・領事館員を人質にとった。イラン人警備員は姿を消し、再三の米国による救助要請受けてもイランは襲撃の防止措置を講じなかった。大使館占拠数時間後、タブリーズ及びシラーズの米国領事館も占拠されたが、やはり措置はとられなかった。宗教的指導者ホメイニの指示で、一部が解放された後、人質は48名の外交官・領事館員と2名の私人であった。その後、ホメイニをはじめイラン高官らが、大使館占拠を支持し是認する(approve)意を表明した。11月9日、米国は国連安保理に緊急の対処を要請した。11月17日のホメイニの布告は「米国大使館は防諜と陰謀の本拠地で...

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