国際関係総合研究Ⅲ

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    資料紹介

    映像を通しての平和教育の重要性
     とかく巷にあふれる過去の戦争体験の回想を見ていくと、二通りの回想に分かれる。主に過去の戦争を自衛目的や白人からの解放といった大きな大儀を唱える人々は、快進撃を続ける軍が主体となりその回想も賛美されるものである。一方、世間的に左翼的と呼ばれる側は軍関係者ではなく、戦時下の下での国民の困窮と悲惨な戦争体験を回想する。このように回想の中に登場する主体も中身も過去の戦争をいかに位置づけるかで大きく性質が異なる。それぞれの主張も回想も両者にとってはなかなか直視しにくく、なおかつ批判が難しいものであろう。それぞれは水と油のような関係のように思える。しかしながらその時代を生きたことのない私が言えることは、そのどれもがかつては実際にあったことであるのだろう、という一種日和見的意見だけである。1つの大きな戦争という共通体験対する体験と記憶は、各個人がおかれたまさしく運命と呼ぶべき個人差によって大きく異なる。ましてやそこからの回想を人に伝えるという行いは、ある意味で実際個人的経験よりも千差万別であるだろう。我々は、それらの中にある、確実にある共通した核を感じ取らねばならないのである。それが懸命な過去の回想への姿勢であると私は考えている。
    授業で見た『陸軍残虐物語』のように軍隊内部での人間の尊厳を扱い、なおかつ映画という表現手法で描き出したものはなかなかなかったように思える。今後確実に軍隊生活を実体験として語れる世代が減っていく。ならばなおのこと、この映画の異種性は濃くなっていくと思われる。参考として、日中戦争に一平卒として従軍した経験を持つ人物が書いた回顧録を一読してみた。映画の中で描かれたしごきの方法も詳細(両手を二つのベッドの端において、足を浮かせて自転車をこぐもの)も書いてあり、映画と照らし合わせることによって、より当時の兵士の教育状況が理解できた。意識的かどうか、その兵士の能力の問題かは判断できないが、教育中はこのしごきの対象として沖縄出身の兵士が槍玉にあげられていたらしい。映画の登場人物の犬丸も純朴な田舎の百姓であったが、しごきと差別意識の関連性も考慮して映画を見るとまた新しい発見があるかもしれない。
    この映画のテーマとは一体何であったのかということを考えてみると、当然のことながら軍隊という特殊な組織の性質への問いかけではなかっただろうか。軍隊とは階級制度が人間関係の全てである。その組織において人間とは階級的存在である。徹底した上から下への統制と確実な行動、それこそが軍隊である。当然のことながらそのような中では人間の感情の矛盾も起こる。しかし、矛盾を起こしてはならないということこそが軍隊の矛盾である。そうような環境であるからこそ、物語のようなことが発生したのではないか。
    軍隊とは、国民と国家の間を取り持つ存在である。実態の見えない存在である国家に対して、軍隊というものは確実に国民の目の前に存在する。国民が国家との関係を実際的に感じることができるのは、軍隊=皇軍という存在があるためである。国へ報いるためには軍隊に入隊して戦場で活躍しなければならない。しかし皇軍は国民のための軍隊ではなかった。皇軍の矢印は国民から天皇へは向かっては行っても、天皇から国民へは向かなかったのである。徴兵制を採る近代的な軍隊制度を持ちながらの皇軍の矛盾、そして矛盾は閉塞感を生み出す。この作品は軍隊の持つ性質と矛盾を通して、当時の時代というものの持つ矛盾と閉塞感をも描き出したかったのだと考える。
    私はこの授業を通して、映画などの映像を通した平和教育は重

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    資料の原本内容

    映像を通しての平和教育の重要性
     とかく巷にあふれる過去の戦争体験の回想を見ていくと、二通りの回想に分かれる。主に過去の戦争を自衛目的や白人からの解放といった大きな大儀を唱える人々は、快進撃を続ける軍が主体となりその回想も賛美されるものである。一方、世間的に左翼的と呼ばれる側は軍関係者ではなく、戦時下の下での国民の困窮と悲惨な戦争体験を回想する。このように回想の中に登場する主体も中身も過去の戦争をいかに位置づけるかで大きく性質が異なる。それぞれの主張も回想も両者にとってはなかなか直視しにくく、なおかつ批判が難しいものであろう。それぞれは水と油のような関係のように思える。しかしながらその時代を生きたことのない私が言えることは、そのどれもがかつては実際にあったことであるのだろう、という一種日和見的意見だけである。1つの大きな戦争という共通体験対する体験と記憶は、各個人がおかれたまさしく運命と呼ぶべき個人差によって大きく異なる。ましてやそこからの回想を人に伝えるという行いは、ある意味で実際個人的経験よりも千差万別であるだろう。我々は、それらの中にある、確実にある共通した核を感じ取らねばならないのである。それが懸命な過去の回想への姿勢であると私は考えている。
    授業で見た『陸軍残虐物語』のように軍隊内部での人間の尊厳を扱い、なおかつ映画という表現手法で描き出したものはなかなかなかったように思える。今後確実に軍隊生活を実体験として語れる世代が減っていく。ならばなおのこと、この映画の異種性は濃くなっていくと思われる。参考として、日中戦争に一平卒として従軍した経験を持つ人物が書いた回顧録を一読してみた。映画の中で描かれたしごきの方法も詳細(両手を二つのベッドの端において、足を浮かせて自転車をこぐもの)も書いてあり、映画と照らし合わせることによって、より当時の兵士の教育状況が理解できた。意識的かどうか、その兵士の能力の問題かは判断できないが、教育中はこのしごきの対象として沖縄出身の兵士が槍玉にあげられていたらしい。映画の登場人物の犬丸も純朴な田舎の百姓であったが、しごきと差別意識の関連性も考慮して映画を見るとまた新しい発見があるかもしれない。
    この映画のテーマとは一体何であったのかということを考えてみると、当然のことながら軍隊という特殊な組織の性質への問いかけではなかっただろうか。軍隊とは階級制度が人間関係の全てである。その組織において人間とは階級的存在である。徹底した上から下への統制と確実な行動、それこそが軍隊である。当然のことながらそのような中では人間の感情の矛盾も起こる。しかし、矛盾を起こしてはならないということこそが軍隊の矛盾である。そうような環境であるからこそ、物語のようなことが発生したのではないか。
    軍隊とは、国民と国家の間を取り持つ存在である。実態の見えない存在である国家に対して、軍隊というものは確実に国民の目の前に存在する。国民が国家との関係を実際的に感じることができるのは、軍隊=皇軍という存在があるためである。国へ報いるためには軍隊に入隊して戦場で活躍しなければならない。しかし皇軍は国民のための軍隊ではなかった。皇軍の矢印は国民から天皇へは向かっては行っても、天皇から国民へは向かなかったのである。徴兵制を採る近代的な軍隊制度を持ちながらの皇軍の矛盾、そして矛盾は閉塞感を生み出す。この作品は軍隊の持つ性質と矛盾を通して、当時の時代というものの持つ矛盾と閉塞感をも描き出したかったのだと考える。
    私はこの授業を通して、映画などの映像を通した平和教育は重要であると考えさせられた。戦後62年の現在、国民の約七割が戦争を知らない世代となった。戦争を知らない世代にとって戦争というものは体験者から語り継がれてきた過去の出来事である。しかし、戦争を知る世代がいなくなったとき、本当の戦争の怖さ、無意味さがどの程度リアルに伝わるのであろうか。そのなかで、当時の状況とかけ離れた平和な日本に生きる私たちにとって戦争の実相を後世に伝えていくことは最大の使命であり、私たちが戦争の悲惨さを伝えるには戦争をリアルタイムで感じていた人々によってつくられた映画はかなり効果的であろう。
     広島出身の私は、被爆した祖父の話や授業、沖縄や長崎を訪ねた時に見た遺産などを通して、幼い頃から戦争について教わり、どれもが印象に残っている。なかでも小学生の時に毎年見た戦争映画は最も印象に残っている。幼いながらもそれを見て恐いとかかわいそうなど色々と感じており、こうやって幼い頃から戦争の悲惨さを知らされ、戦争は二度と起こしてはいけないものという意識は確立してきたのだと思う。これは周囲の友人たちも同じであったに違いない。
    しかし先日のニュースで驚愕の事実を知った。記者による大阪での取材の結果、若者の戦争についての認識度がかなり低いことが判明した。大阪で大空襲があったことに慌てる者、真珠湾はグアムだと思っている者、日本が敗戦国となったことさえ知らない者もいた。彼らも同様に家庭や学校で戦争について教わってきたはずではないのか。私は複雑な気持ちになった。若い世代の家庭では戦争について会話する機会などはほとんどないと思う。そのうえ現在の平和な日本で育つ子供達には戦争というものはいくら学校で習ったからといって想像のつかないものなのかもしれない。そのため戦争に対する意識が日本全体で低下しているのではないだろうか。
    近年の若年層の実態を踏まえ、全国で戦争を知る人達が盛んに活動を行なっている。私は学校の授業等において戦争の経過をさらりと読んで終るのではなく、体験談などを元に戦争の悲惨な内面的な部分に触れることで子ども達に戦争について興味をもたせ、自分たち自身で戦争について考える力を養わなければならないと思う。感受性の豊かな子供たちが当時の様子がわかる映像を見ることは、その効果がより期待できる。また、戦争を知る人々が少なくなることが考えられるこれからは、映像を取り入れた平和教育がさらに必要とされるだろう。このような教育が日本で推進されれば、少なからず戦争に無関心な若者は減るはずだ。戦争を行い、被爆した日本は、今後世界に向けて戦争の反対、核の禁止を訴え続けていかなければならない。そのためにもこれからは映像を取り入れた平和教育が日本全国で行われるべきである。
    また、日本の戦争映画が世界にもっと発信されるべきであると考える。特に原爆について描かれた映画を海外の人にもっと見てもらいたい。小学生の時に見た映画の中に「黒い雨」があり、描かれた映像のそのあまりの悲惨さにその場から逃げ出したいという思いに駆られた。あのとき泣きながらも映画を見たことやそこから感じたことがあるからこそ、核に心から反対する今の自分があるのだと思う。戦争や核の被害は見てみないと心から伝わりにくい。だからこそ世界に平和を発信するためには映像を使うべきだと考える。
    今でも世界には内戦などによる被害を受けている人は多くいる。これ以上戦争を起こさせないためにもまず国内での平和教育を徹底し、そこから世界に平和を発信するとより効果的であろう。映像を有効に使うことで世界の人々の平和への意識が高まってほしいと思う。
    (2996字)
    《参考文献》
    『日中戦争 一兵士の証言』 川崎春彦 光人社NF文庫 2005年
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