Web時代の科学のコミュニケーションと先取権 --科学論の視点から--

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    Web時代の科学のコミュニケーションと先取権 --科学論の視点から--
    15世紀の印刷革命は16-17世紀における科学革命の技術的基盤となった。学問的業績は著書ないしは雑誌論文として印刷公表され、蓄積していき、学問の持続的発展が可能となった。その中で科学者の知的貢献を保障するものとして先取権が重視されるようになった。しかし、コンピュータが発達・普及した現在では、研究成果は印刷されずに直接Web上で公開されるようになりつつある。そのような動きは、迅速な情報交換や経済的なコスト削減に役立つものの、伝統的な先取権概念に再考を迫っているように思われる。
    科学革命、印刷革命、科学のコミュニケーション、先取権、コンピュータ革命
    1. 印刷革命のインパクト--歴史的展望
     15世紀の印刷革命は、知的・学問的営みのあり方を根本的に変革した(1)。それまでの、写字生による写本では不可能であった、大量で安価なテクストの生産と流通は、面倒な書写や暗記から学者たちを解放した。その結果、信頼できるテクストを媒介にしたコミュニケーション・ネットワークが形成され、精選された知識や情報を蓄積することが可能になったのである。コペルニクスの『天球の回転について』(1543年)から、ガリレオの『二つの世界体系についての対話』(1632年)やデカルトの『方法叙説』(1637年)を経て、ニュートンの『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(1687年)に至る、16-17世紀の科学革命を可能にしたさまざまの要因のうちでも、印刷革命によるコミュニケーションの変革は、最も重要なものだったといえよう。
     科学革命を代表する上記の四著は単行本のかたちで出版されたが、雑誌という新しいメディアが発明されたことも学者たちのコミュニケーション・ネットワークを効率的にし、濃密なものした。1660年に設立されたロンドンのロイヤル・ソサエティ(王立協会)は、書記のオルデンバーグの提案を受けて、1665年、ソサエティの機関誌『哲学紀要』Philosophical Transactionsを創刊した。この雑誌には、会員以外の科学者や外国人科学者も含めて多くの人々の研究が報告・掲載された。雑誌というメディアの登場は、大部な書物を執筆するために必要な長い時間、出版社との面倒な交渉と多額の出版費用の工面といった苦労から、学者たちを解放し、アイデアと研究成果の迅速で安価な公表・交換を可能にした。
     印刷メディアの登場は、学者たちの間での活発な論議・論争を促した。同時に、「先取権」priorityという概念も生み出した。すなわち、単行本であれ雑誌論文であれ、科学者が自らの名前を冠してその研究成果(新しい知識、発見)を印刷・発表するということが普通になってくるにつれ、科学者は、自らが見出した新しい知識に対して、第一発見者としての権利=先取権を有する、という考えである。むしろ、科学者を研究に駆り立てるのは、単なる知的好奇心というよりも、先取権を目指してのライバルとの競争心である、という状況が生じてきたのである。科学史上、最も有名なニュートンとフックとの間の科学論争と先取権争いはその代表例である。雑誌は最新の科学研究の成果を発表する場であるだけでなく、そうすることによって先取権を確保する手段としての役割をも果たすことになったのである。
     その後、18-19世紀を通じて学問分野は次第に細分化され、さらに19世紀中葉には科学の制度化に伴って科学は専門職業となった(「科学者」scientistという英語は1830-40年代に

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    Web時代の科学のコミュニケーションと先取権 --科学論の視点から--
    15世紀の印刷革命は16-17世紀における科学革命の技術的基盤となった。学問的業績は著書ないしは雑誌論文として印刷公表され、蓄積していき、学問の持続的発展が可能となった。その中で科学者の知的貢献を保障するものとして先取権が重視されるようになった。しかし、コンピュータが発達・普及した現在では、研究成果は印刷されずに直接Web上で公開されるようになりつつある。そのような動きは、迅速な情報交換や経済的なコスト削減に役立つものの、伝統的な先取権概念に再考を迫っているように思われる。
    科学革命、印刷革命、科学のコミュニケーション、先取権、コンピュータ革命
    1. 印刷革命のインパクト--歴史的展望
     15世紀の印刷革命は、知的・学問的営みのあり方を根本的に変革した(1)。それまでの、写字生による写本では不可能であった、大量で安価なテクストの生産と流通は、面倒な書写や暗記から学者たちを解放した。その結果、信頼できるテクストを媒介にしたコミュニケーション・ネットワークが形成され、精選された知識や情報を蓄積することが可能になったのである。コペルニクスの『天球の回転について』(1543年)から、ガリレオの『二つの世界体系についての対話』(1632年)やデカルトの『方法叙説』(1637年)を経て、ニュートンの『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(1687年)に至る、16-17世紀の科学革命を可能にしたさまざまの要因のうちでも、印刷革命によるコミュニケーションの変革は、最も重要なものだったといえよう。
     科学革命を代表する上記の四著は単行本のかたちで出版されたが、雑誌という新しいメディアが発明されたことも学者たちのコミュニケーション・ネットワークを効率的にし、濃密なものした。1660年に設立されたロンドンのロイヤル・ソサエティ(王立協会)は、書記のオルデンバーグの提案を受けて、1665年、ソサエティの機関誌『哲学紀要』Philosophical Transactionsを創刊した。この雑誌には、会員以外の科学者や外国人科学者も含めて多くの人々の研究が報告・掲載された。雑誌というメディアの登場は、大部な書物を執筆するために必要な長い時間、出版社との面倒な交渉と多額の出版費用の工面といった苦労から、学者たちを解放し、アイデアと研究成果の迅速で安価な公表・交換を可能にした。
     印刷メディアの登場は、学者たちの間での活発な論議・論争を促した。同時に、「先取権」priorityという概念も生み出した。すなわち、単行本であれ雑誌論文であれ、科学者が自らの名前を冠してその研究成果(新しい知識、発見)を印刷・発表するということが普通になってくるにつれ、科学者は、自らが見出した新しい知識に対して、第一発見者としての権利=先取権を有する、という考えである。むしろ、科学者を研究に駆り立てるのは、単なる知的好奇心というよりも、先取権を目指してのライバルとの競争心である、という状況が生じてきたのである。科学史上、最も有名なニュートンとフックとの間の科学論争と先取権争いはその代表例である。雑誌は最新の科学研究の成果を発表する場であるだけでなく、そうすることによって先取権を確保する手段としての役割をも果たすことになったのである。
     その後、18-19世紀を通じて学問分野は次第に細分化され、さらに19世紀中葉には科学の制度化に伴って科学は専門職業となった(「科学者」scientistという英語は1830-40年代に造語された)。その結果、それぞれの専門分野は、独自の雑誌を刊行することによって、学問的アイデンティティーを確立しようと努力するようになった。しかも、十九世紀のナショナリズムの高まりと相まって、時期的には多少前後するものの、ヨーロッパ諸国でこのような動きが並行して起こった。かくて、一種の細胞分裂のように、科学の専門細分化がさらなる細分化を促し、その結果として、多くの専門的な科学雑誌が次々と創刊されるという、現代まで続く、際限のないプロセスが始まった(2)。
     情報は多ければ多いほど良い、したがって、雑誌の数も論文も多ければ多いほど良い、とは単純には言えない。雑誌の急増の結果、科学者たちは興味深い新しい情報や知識を迅速かつ適切に把握できなってしまったからである。いわゆる情報爆発である。そこで工夫されたのが、単行本や雑誌論文の概要・要約だけを掲載した「要約誌」や「論文カタログ」であり、専門的な「事典」や「ハンドブック」などであった。
    2. コンピュータ革命のインパクト
     科学という営みは、これまで一貫して指数関数的な成長を遂げてきた。すなわち、創刊された雑誌の数でみても、出版された論文数でみても、15-20年で倍増するという大きな成長率を示してきたのである。第二次大戦後も、大学を中心としたアカデミズム科学が自己増殖を続けるとともに、新しく国営科学や企業科学が登場した結果、次々に新しい研究領域が開拓され、それに応じて新しい雑誌が創刊された。既存の雑誌も頁数が増えていった。要約誌に収録される論文数は急増した。情報爆発は一段と加速し、科学者たちの情報管理は危機的な様相を呈するようになった(3)。
     このような状況に救世主として登場したのが、コンピュータである。紙に印刷された雑誌とはちがって、コンピュータは記憶媒体(当初は磁気テープ、現在ではCD-ROMなど)に大量の情報を蓄積しており、必要に応じて情報を瞬時に検索して取り出すことができる。例えば、ガーフィルドが創設した科学情報研究所(Institute for Scientific Informations)が発行している『科学引用索引』Science Citation Indexは、当初は、印刷物として刊行されていたが、その後、電子化され、コンピュータで検索可能となった。SCIは、ある論文が他の論文に引用されていることを示しており、元来は、研究者が引用論文を手がかりにして関連論文をさがすためのデータ・ベースである。しかし、別の利用の仕方もある。すなわち、ある論文が何回引用されたかは、その論文の重要性の指標とみなされ、ひいては論文の著者の業績の指標とみなされるようになったのである。しかも、SCIが電子化されたことによって、引用回数のチェックとそのランキングなどが非常に容易になった(4)。
     1980年代になると、記憶容量が大きくなり処理速度が早くなったコンピュータが相互に接続され、情報を交換・共有できるようになり始めた。すなわち、コンピュータが通信の手段としても利用されるようになったのである。科学者たちは、長年の間、論文や著書といった印刷物とともに、会話・手紙・電話などによって、互いにアイデアや情報を交換してきたが、コンピュータという新しい通信手段が加わったことになる。
     現在、インターネットと呼ばれている世界的な拡がりをもったコンピュータ・ネットワークの構築は、1969年から開発が始まったアメリカ国防総省高等研究計画局のARPANETプロジェクトに起源があるとされるが、ヨーロッパ合同原子核機構(CERN)の科学者たちの貢献も大きかったと言われている。近代科学の創始者たちがそうであったように、先端的な科学研究に携わっている現代の科学者たちは、アイデアや情報・データを可能な限り迅速に交換したいという情熱に突き動かされているからであろう。
     また、近年、文献情報だけではなく、雑誌論文そのものが電子化されて直接インターネットを通じて、「オンライン・ジャーナル」として「出版」されつつある。当面は、従来の印刷物も併せて提供される場合が多いようだが、オンライン・ジャーナルがさらに一般化すれば、論文を検索し、必要な論文・資料・データを引き出し参照した上で、自らの知見を加えて論文を執筆・投稿するという一連の作業が、ネットワークに接続されたコンピュータ端末を通じて行うことが可能になるであろう。実際、すでにかなりの数の研究者が、そのようにして論文を「読み」、「執筆し」、「発表」していると思われる。このような事態が一般化して、研究成果の公表ということには、必ずしも雑誌論文の印刷を含まなくてもよいということになれば、17世紀の科学者たちが案出した、研究業績の雑誌論文による公表とそれを通じての先取権の確保という三百年以上続いた科学の伝統が大きくかつ急速に変化する可能性がある。
     実は、このような状況は、コンピュータ革命以前から、徐々に進行しつつあった。複写技術の発達・普及(いわゆる複写/ゼロックス革命)によるプレプリントによる情報交換あるいは研究成果の公表という事態である。かつて科学者たちは、必要な文献・資料を手書きであるいは写真機で写し取っていたものだが、複写機の開発とその急速な普及によって、状況は一変した。複写機は、当初、もっぱら文献資料の収集に用いられていたが、一部の研究分野では、研究成果発表の手段としても用いられ始めた。すなわち、科学者の最新のアイデアや研究成果が、インフォーマルな会話や会合で発表された後(あるいは発表に先立って)、初期はタイプライターで後にはワープロで清書され、しかるべき部数が複写されて、関係者に直接配布されるようになったのである。プレプリントによる研究成果の公表というやり方は、迅速な情報交換とともに、(仮の)先取権確保を可能にした。しかし、プレプリントには、雑誌論文の場合には必須のピア・レビュー(専門仲間による業績の評価)というプロセスが欠如しているので...

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