アントニオ・ガウディ−その奇才性−

閲覧数2,733
ダウンロード数11
履歴確認

    • ページ数 : 9ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    アントニオ・ガウディ―その奇才性―
    1.はじめに
    アントニオ・ガウディ・イ・コルネット(Antonio Gaudí y Cornet 1852-1926)、の建築は奇抜で、独創的である。また、ガウディが生きた時期のスペインの建築は、モロッコなどからのイスラム建築の影響や、ロマネスク様式やゴシック様式といった伝統的なヨーロッパ建築の影響の両方を受けていると考えられ、興味深い。また、ガウディの活躍した時代は、カタルーニャ文化復興の運動が起こった時期でもある。そこで、彼の歴史、彼の斬新な建築アイデアの背景を追っていきたいと思う。
    2.アントニオ・ガウディの生涯
    ガウディは1852年6月25日、スペインのカタルーニャ地方(Cataluña)のレウス市(Reus)で生まれた。彼の父親、フランシスコ・ガウディ・セーラ(Francisco Gaudí Serra ,1813‐1906)は、代々続いてきた銅板加工器具の職人で、ガウディ独特の空間構成の基本には、父から受け継いだこの銅板加工のセンスが生かされていたのかもしれない。幼い頃、慢性の関節リウマチに苦しんでいた彼は、普通に学校へ通うことができなかった。そのせいもあり彼の学校の成績は幾何学以外みな平凡であったが、手先は器用だった。そんなガウディが建築家という仕事に興味を持ち始めたのは、高校時代の頃である。
    1868年、16歳のときバルセロナ建築学校(Escuela Técnica Superior de Arquitectura de Barcelona)に入学した。いよいよ建築家になるという夢を現実化し始めた。ただし、当時彼は年老いた父親たちといっしょに暮らしていたため、その生活費を稼ぐためのアルバイトに励んでおり、成績は良くなかった。そのため、彼の才能を理解できる人は教授陣の中のほんの一握りにすぎなかった。しかし、その中に後にサグラダ・ファミリア聖堂(Templo Expiatoria de la Sagrada Familia)の初代設計者となるフランシスコ・ビリャール・ロサーノ教授(Francisco de Paula Villar Lozano, 1828-1903)がいた。
    建築学校を卒業後は、内装や装飾の仕事で生計を立てていた。ガウディが26歳のとき、パリ博覧会に出品した手袋屋のショーケースが、富豪エウセビオ・グエル(Eusebio Güell,  1846-1918)の目に留まり、グエルの依頼でグエル邸(FincaGüell)、グエル公園(Parque Güell)など多数の建設を行った。これらの建設によって、建築家としての地位を築いていった。1883年には サグラダ・ファミリア 聖堂の設計引継の依頼を受けた。1917年以降は他の仕事を断って、サグラダ・ファミリアの設計をライフワークとした。しかし、1926年教会にミサに向かう途中、路面電車に轢かれ、手当てが遅れたために息を引き取った。
    3.スペイン人ガウディ
    フランス側からピレネー山脈を越えれば、アフリカだとか、モロッコからスペインに入っても大した変化はないと言われる。スペインの気候がヨーロッパというよりアフリカの気候に近いことや、中世の国家形成において、イスラム教徒との共生によって作られた習慣、伝統が残っていることからも、そういわれるのも当然であろう。にもかかわらず、スペインは、地理的にも文化的にもヨーロッパに属している。そこからもわかるように、スペインはイギリス、フランスといったヨーロッパから見ると特殊なのである。しかし、この特殊性にガ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    アントニオ・ガウディ―その奇才性―
    1.はじめに
    アントニオ・ガウディ・イ・コルネット(Antonio Gaudí y Cornet 1852-1926)、の建築は奇抜で、独創的である。また、ガウディが生きた時期のスペインの建築は、モロッコなどからのイスラム建築の影響や、ロマネスク様式やゴシック様式といった伝統的なヨーロッパ建築の影響の両方を受けていると考えられ、興味深い。また、ガウディの活躍した時代は、カタルーニャ文化復興の運動が起こった時期でもある。そこで、彼の歴史、彼の斬新な建築アイデアの背景を追っていきたいと思う。
    2.アントニオ・ガウディの生涯
    ガウディは1852年6月25日、スペインのカタルーニャ地方(Cataluña)のレウス市(Reus)で生まれた。彼の父親、フランシスコ・ガウディ・セーラ(Francisco Gaudí Serra ,1813‐1906)は、代々続いてきた銅板加工器具の職人で、ガウディ独特の空間構成の基本には、父から受け継いだこの銅板加工のセンスが生かされていたのかもしれない。幼い頃、慢性の関節リウマチに苦しんでいた彼は、普通に学校へ通うことができなか...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。