田内千鶴子の生涯

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    千鶴子は、母がクリスチャンであった影響から子供のころから聖書に親しんでいた。また、彼女は裕福な家庭の一人娘であったため、厳格に育てられ、進学した。しかし、20歳の時、父が病で突然なくなってしまう。そこで母は助産婦をしながら女手一つで千鶴子を育てた。  女学校を卒業した千鶴子は、教会の日曜学校でオルガンを弾いたり、子供たちに話をするなどして働いたのだが、ある日恩師に紹介されていった共生園で、尹到浩と出会った。尹到浩はその孤児院の園長で、背が低く、麦わら帽子をかぶり、その当時では皆はいていなかったわらじを履いていた。しかし、とてもいい目をしていた。かれは、「こじき大将」とよばれ、みなから親しまれていった。
    尹到浩の孤児院は、孤児院といっても、いまにも潰れそうなものであった。障子もなく、畳の代わりにかますをしいた、30畳ほどの部屋が一つあるだけだった。  そして、千鶴子の新しい生活は、食うや食わずの40~50人の子どもたちの世話に明け暮れたのである。最初は笑顔を見せなかった孤児たちも、千鶴子の献身的な奉仕に次第に心を開き始めた。子どもたちは当然に、千鶴子に母親を求めた。千鶴子は園児たちにとっ...

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