佛教大学「哲学概論」「第1、第2設題」評価「A」レポート

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    佛教大学通信教育課程「哲学概論」の『第1設題:第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ』『第2設題:第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ』のレポートです。一つのファイルに第1、第2設題それぞれのレポートが入っています。評価はいずれも「A」でした。第1設題の所見は「今日我々は知識を書物、インターネット、先達から学ぶ。科学の知識も学んで得たものである。プラトンが教えるのは自らで考えることである」第2設題の所見は「テキストの問題に対し、自ら考え、自らの言葉で表現することができている」でした。ご参考になれば幸いです。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    第1設題
    第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
    存在の意味について考えていく上で、アリストテレスの形而上学が外せない。それによると、存在は付帯的存在、本質的存在、真としての存在、可能態・完全現実態としての存在に分類できる。
    付帯的存在とは、主語と述語との一時的、偶然的な結びつきにおける「在る」である。例えば、「お年寄りは経験豊かである」というように、ある基本的な存在に何らかの属性が付帯して「在る」といわれる場合をいう。ただ、この場合、その原因も付帯的であるため学問的探究は成立しない。
    本質的存在とは、主語と述語との必然的な結びつきにおける「在る」である。それは述語形態(範疇)即ち、実体・性質・分量・関係・能動・受動・場所・時間を示す「在る」である。すべての命題において「在る」は八個の範疇的な「在る」に帰する。この意味で範疇はすべての存在を含むゆえに付帯的存在も本質的存在に帰入する。
    真としての存在とは、存在とは真であり、非存在とは偽であるということである。ただ、真と偽との判断は自体的存在との関係において..

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