【武蔵野大学通信】 共生の原理(真宗入門) 【合格レポート】

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    資料紹介

    【テーマ】テキスト『真宗入門』の前半の四法印、及び後半の社会における行為をもとにした「共生」について述べよ。
    【本文】人間の飽くなき欲望充足の代償が環境破壊を引き起こし、生態系を撹乱し、ひいては人類の存亡すら危ぶまれる状況にまで至った。また酸性雨・森林破壊・砂漠化・温暖化など人間と自然との関係のみならず、人間と人間の関係においても「非共生的現象」が日常現象化してきた。いじめや性差別、さらには南北問題などそれである。また「民族浄化」「聖戦」という言葉によって異民族を排除し、さらには宗教的な側面において原理主義に見られる宗教紛争は過激な様相を呈し、世界的規模で「非共生的現象」が生起している。……

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    テキスト『真宗入門』の前半の四法印、及び後半の社会における行為をもとにした「共生」について述べよ。
    人間の飽くなき欲望充足の代償が環境破壊を引き起こし、生態系を撹乱し、ひいては人類の存亡すら危ぶまれる状況にまで至った。また酸性雨・森林破壊・砂漠化・温暖化など人間と自然との関係のみならず、人間と人間の関係においても「非共生的現象」が日常現象化してきた。いじめや性差別、さらには南北問題などそれである。また「民族浄化」「聖戦」という言葉によって異民族を排除し、さらには宗教的な側面において原理主義に見られる宗教紛争は過激な様相を呈し、世界的規模で「非共生的現象」が生起している。

     仏陀の説と思われる苦と苦の滅の内容を見れば苦の根拠として阿含経典に五慈の無常と渇愛とが説かれている五慈の無常の故に苦とは五慈は無常であるが自らに五魎の常住を希ふ渇愛があってその渇愛が容れられないから苦となるのであり渇愛の故に苦とは自らに五魎の常住を求める渇愛があるが五纏は無常であって渇愛が満足されないから苦となることであって両者は同じ内容であるから仏陀は時によって何れかを説かれたと見るべきである。しかし五纏の無常は...

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