日本側「重光・ダレス会談」記録文書について

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    資料紹介

    1.はじめに

    本稿は1955年8月の鳩山一郎内閣の重光葵外相とダレス米国務長官との会談(以下「重光・ダレス会談」とする)の際、残された日本側の記録文書を取り上げる。これはこれまで非公開であったが、朝日新聞の記者が情報公開法に基づき開示請求し、近年公開されたものである(『朝日新聞』2001年7月16日参照)。「重光・ダレス会談」は岸内閣における安保改定への布石となったものだが、これまでアメリカ側文書や岸信介や河野一郎の回顧録でしか分からなかった。安保改定交渉に関して日本側文書の公開が進んでいないため、本史料が公開された意義は大きいといえる。

    本稿では、まず「重光・ダレス会談」に至るまでの時代背景を説明した上で、史料の要旨、史料から得られることについて見ていき、最後に史料を読んで疑問となった重光の外交構想について掘り下げて見る事にした。

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    日本側「重光・ダレス会談」記録文書について
    目次
    1.はじめに
    2.時代背景
    3.史料について
    4.重光の安保改定構想
    5.おわりに
    参考・引用文献
    1.はじめに
    本稿は1955年8月の鳩山一郎内閣の重光葵外相とダレス米国務長官との会談(以下「重光・ダレス会談」とする)の際、残された日本側の記録文書を取り上げる。これはこれまで非公開であったが、朝日新聞の記者が情報公開法に基づき開示請求し、近年公開されたものである(『朝日新聞』2001年7月16日参照)。「重光・ダレス会談」は岸内閣における安保改定への布石となったものだが、これまでアメリカ側文書や岸信介や河野一郎の回顧録でしか分からなかった。安保改定交渉に関して日本側文書の公開が進んでいないため、本史料が公開された意義は大きいといえる。
    本稿では、まず「重光・ダレス会談」に至るまでの時代背景を説明した上で、史料の要旨、史料から得られることについて見ていき、最後に史料を読んで疑問となった重光の外交構想について掘り下げて見る事にした。
    2.時代背景
    講和交渉における最大の問題は、独立後の日本の安全保障をどうするかであった。サンフランシスコ平...

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