アリストテレスの論理学―三段論法を中心に―

閲覧数3,638
ダウンロード数13
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    アリストテレスが主張した論理学のひとつである「三段論法」を中心にまとめています。
    どちらかと言えば、言語哲学に近いです。

    資料の原本内容

    「アリストテレスの論理学―三段論法を中心に―」
    I. はじめに
     論理学とは、知を探求し事物を論理的に捉えるときに、必要な考え方のひとつである。クーパーによると、論理学とは、推論あるいは推論の仕方の体系的研究であり、つまり、与えられた諸前提から何が帰結し、そして、なぜそれが帰結するかについて研究するものだと論じている(セドレー編, 2009: 196)。ここでは、アリストテレスが発見した論理学のひとつである三段論法の定義および解釈について考えたい。
    II. アリストテレスの三段論法の定義
    II-1. 三段論法を考える上で満たす条件
     野内(2010: 67-68)によると、三段論法を考える場合には、内容の真偽はともかく次の5つの条件を満たさなければならないという。それは次の通りである。
    (1) ふたつの前提と結論からなる三段構成である
    (2) 名詞、形容詞、動詞などの3つの名辞(概念)が問題になる
    (3) どの命題も主語と述語からなる
    (4) 結論にある主語と述語は両前提を通じて一回だけ出てくる
    (5) 両前提に出てきた結論で消える中名辞(媒介概念)が必ずある
    (1)のふたつの前提とは大前提と小前提であり、前者は一番大きな概念であり、後者は媒介概念が問題なるところである。結論の主語になるのは、小前提の主語であり、結論の述語は大前提の述語になる。
    II-2. 三段論法の4つの形式
     アリストテレスは、学問的な主張は、どの場合であっても4つの形式のひとつになると主張した。その4つの形式は、「述語が主語のすべてについて肯定ないし否定される」もしくは「述語が主語の一部分についてのみ肯定ないし否定される」に該当する。4つの形式は次の通りである。なお、例文はクーパーが提示したものを記したが、筆者がわかりやすいように書き改めたものを一緒に記載した(セドレー編, 2009: 198)。
    (1) Aはすべての(あらゆる)Bに属する=全称肯定
      「あらゆる人間は二足である」=「二足はすべての人間である」
    (2) AはいかなるBにも属さない=全称否定
      「いかなる魚も羽をもたない」=「羽はいかなる魚にも持たない」
        (3) AはいくつかのB(Bのうちのいくつか)に属する=特殊肯定
      「いくつかのユリは白い」=「白色はいくつかのユリに属する」
    (4) AはいくつかのB(Bのうちのいくつか)に属さない=特殊否定
      「いつかのユリは白くない」=「白色はいくつかのユリに属さない」
    アリストテレスによると、AやBは変数(=変項)であり、どのような名辞を代入できるとされている(山口, 2001: 46)。いかなる場合において、これら4つの命題のどれかに最低ふたつ以上の前提を持たなければならないだろう。それらは、ぞれぞれ、大前提、小前提、結論と当てはめられている。上記の例文をもとに考えてみたい。
    A=二足、B=人間
    (大前提)「あらゆる人間は二足である」
    (小前提)「あらゆる日本人は人間である」
    (結論)「あらゆる日本人は二足である」
    A=羽、B=魚
    (大前提)「いかなる魚も羽をもたない」
    (小前提)「いかなるマグロも羽をもたない」
    (結論)「いかなるマグロも魚にももたない」
    A=白い、B=ユリ
    (大前提)「いくつかのユリは白い」
    (小前提)「いくつかの花は白い」
    (結論)「いくつかの花はユリだ」
    A=白い、B=ユリ
    (大前提)「いつかのユリは白くない」」
    (小前提)「いくつかの花は白くはない」
    (結論)「いくつかの花はユリでない」
    これらように、アリストテレスは三段論法の前提として、それぞれの格ごとに区分けした。実際には、さらに『分析論』では、各格を詳細に区分けしているが、ここでは特に言及をしない。
    III. アリストテレスの三段論法の確認
    III-1. ベン図を使わない三段論法の考え方(1)
     II-1において、三段論法に必要な5つの表現形式について確認した。しかし、野内 (2010: 70-71)によると、「全称肯定」「全称否定」「特称肯定」「特称否定」などが混ざり合っている場合も考えられるという。ここでは、ベン図を使わない方法を考えてみる。野内は次のように提示している(野内, 2010: 71)。
    (1) 否定命題が出てくるときには前提にひとつか、結論にひとつかでなければならい(否定―条件)
    (2) 中名辞(媒介概念)は少なくとも前提のひとつにおいて、周延されていなければならない
    (3) 結論において周延されている名辞(概念)は前提おいても周延されていなければならない(結論―条件)
    (2)と(3)にある「周延」とは、簡単にいえば問題の名辞が「すべて」や「~でない」と限定されていることを意味する。
    III-2. ベン図を使わない三段論法の考え方(2)
     III-1では、ベン図を使わない三段論法の方法について確認した。ここでは、ふたつの例文を使い実際に当てはめている場合をみてみたい(野内, 2010: 72-73)。
    (1) すべての政治家は野心的である。
    ある実業家は野心的でない。
    ゆえに(だから)ある実業家は政治家ではない。
     
    (1)の例文では、III-1で示した[否定―条件]は、全称肯定の文であるから満たしている。中名辞は「野心家」であり、ここでは否定されている(特称否定)。最後に結論―条件であるが、結論で周延されている政治家が一番目の前提(大前提)で「すべての政治家」となっているので、きちんと三段条件を満たしていることとなる。
    (2) スポーツ選手は健康である。
    A家の人たちは健康である。
    ゆえにA家の人たちはスポーツ選手である。
     (2)の例文は、III-1で示した[否定―条件]は、否定文ではないので満たしてはいる。しかし、中名辞は「健康」であるが、「すべて」や「ある」で修飾されていないので、この条件を満たすことはできない。結論としては、主語と述語から成り立っているので、文としては成立する。だが、ここでは健康が修飾されていないため成り立たないとされている。仮に、一般的な解釈を用いたとしても、「A家の人たちは健康である」から「ゆえA家の人たちはスポーツ選手である」という結びつきを考えるのは、稀にはそのような家族がいたとしても、いささか難解に思う。
    III-3. 三段論法の解釈について
     
     ここまで、いくつかの三段論法の解釈について見てきた。最後に次のような例について見てみよう(山口, 2001: 49)。
    (3)すべての音楽家は芸術を愛する者である。
    すべての作曲家は音楽家である。
    ゆえに、すべての作曲家は芸術を愛する者である。
     この推論について少し言及してみたい。まず、結論として「すべての作曲家は芸術を愛する者である。」としているが、仮に芸術を愛するからではなく職業として仕方がなく、作曲をやっている人もいるかもしれない、と反応する人もいるかもしれない。つまり、それを偽と捉える場合である。しかし、それが成立するならならば、少なくともどちらかの前提が偽でなくてはならないという。大前提として「すべての音楽家は芸術を愛する者である。」であり、小前提として「すべての作曲家は音楽家である。」となっている。そのため、結論を偽とする場合には、「音楽家が芸術を愛する者」が真であるときは「生活のためだけに作曲する人は音楽家ではない」であるし、「作曲家はすべて音楽家だ」というのが真ならば「芸術のために作曲しない音楽家がいる」ということであり「すべての音楽家が芸術を愛する」というのが偽だということになる(山口, 2001: 49)。しかしながら、たとえ三段論法という考え方を理解していたとしても、これらをとっさに読んだだけでは真があるとか偽があるとかと判断することは難しいだろう。
     
    V. まとめ
     本レポートでは、アリストテレスが考えた論理学のひとつである三段論法についてまとめてきた。三段論法とは論理的推論の一種であり、大前提、小前提、そして結論からなるものであり、それぞれの主語と述語を入れ替えて成り立つのであれば、その枠組みのなかで機能しているということであろう。しかし、その中でもIIIで扱ったような制約が存在する。
     全体を通して、上手く書き上げることはできていないと思うが、倫理学の少しややこしい部分の知識を整理することができたし、野内(2010: 79)によれば、古典論理学と現代論理学では、妥当な三段論法の数に違いがあるというので、今後同じようなテーマを扱うときにはその点にも関心を払いたい。
    参照文献
    セドレー, D(編)(内山勝利監訳)(2009). 『古代ギリシア・ローマの哲学−ケンブリッジ・
     コンパニオン』. 京都: 京都大学学術出版.
    (原題)Sedley, C. (ed.). (2003). The Cambridge Companion to Greek and Roman
    Philosophy. Cambridge: Cambridge University Press.
    野内良三 (2010). 『発想のための論理思考術』. 東京: 日本放送出版協会.
    山口義久 (2001). 『アリストテレス入門』. 東京: 筑摩書房.

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。